スイスの製薬会社であるロシュのKAM分析の5回目である。

ロシュのアニュアルレポートは、Annual ReportとFinance Reportに分かれている。

Roche - Finance Report 2018
Roche - Annual Report 2018
監査報告書はFinance Reportの142頁から149頁に、8ページにわたって掲載されている。

  1. 監査報告書に記載されているKAMを読み、
  2. ISAのリスクアプローチでの手続と比較しながら分析し、
  3. KAMの記載に含まれていない手続を識別することにより、
  4. 企業のガバナンス責任者の立場での監査人への質問事項をまとめる
ということを、引き続きやっていこうと思う。

それでは、今回は、5つのKAMのうち、最後のフラットアイアン・ヘルス社(Flatiron Health Inc.)の取得について解説したい。
(監査報告書に記載されているKAMの原文は、この記事の最後に貼り付けているので、参考にして欲しい。)

監査上の主要な検討事項

当グループは、2018年4月5日にFlatiron Health、Inc.(以下「Flatiron Health」)を買収し、総対価1,616百万米ドルを支払った。対価は、主に無形資産およびのれんそれぞれ695百万スイス・フランおよび1,128百万スイス・フランに配分された。Flatiron Healthの買収により、マネジメントは、無形資産の識別と評価、および識別されたシナジーから恩恵を受ける資金生成単位への取引から生じるのれんの配分に判断を適用する必要がありました。

注記6「合併および買収」のセクションで、取引に関する説明がある。

 2018年4月5日に、グループはニューヨーク市を拠点とする非上場米国企業Flatiron Healthの100%支配持分を取得しました。Flatiron Health社はがん研究におけるリアルワールドエビデンスの分析と開発や、腫瘍学専門の電子健康記録のソフトウエアの分野でのマーケットリーダーである。

なお、リアルワールドエビデンスとは、臨床試験データのことで、こういったデータやソフトウェアが無形資産に計上されていることが分かる。さらに無形資産の価値を大きく上回る価値ののれんが計上されている。

無形資産の評価に関連して、KAMは下のように説明している。

Flatiron Health社のテクノロジー・プラットフォームの公正価値は、マネジメントの予測と、割引率、税率および外国為替レートといった観察可能な市場データをベースとした超過収益法により算定しました。 現在価値は、Flatiron Healthのリスク調整割引率10.4%を使用しました。 評価は独立したバリュエーションサービス業者によって行われました。

次に、のれんの評価に関連する説明として、下のように述べている。

のれんは、癌治療における個人別のデータ・ドリブン診療への進歩を加速させ、その使用を促進することの価値を表しています

リアルワールド・エビデンスの活用を促進することにより、腫瘍学の研究開発のための新しい業界標準を設定する。 さらに、コントロールプレミアム、獲得したワークフォース(労働力)および予想されるシナジー効果を表しています。 なお、のれんは、所得税の算定で損金算入できるものではありません。

1,616百万米ドルの対価が、Purchase price allocation (取得原価の配分)によって、無形資産とのれんに、それぞれ695百万スイスフランと、1,128百万スイスフラン配分されたとある。監査報告書に重要性の基準値は開示されておらず、監査人がこのKAMを「特別な検討を必要とするリスク」としたのかはわからない。仮に、税引前利益の5%である707百万フランを重要性の基準値とみなした場合、この金額は重要性は高いと判断されるが、一方で取得1年目において、減損リスクがどの程度あるかは判断が分かれるところであろう。 

そうはいっても、のれんの減損リスクが2つ目のKAMとなった、インターミューン社の場合、2014年に取得されたものの、2018年に2,040百万スイスフランののれんが全額減損し、製品関係無形資産も2018年末時点で、2,413百万スイスフランの残高があるものの、2017年に1,664百万スイスフラン減損し、2018年にそのうち274百万フランの減損の戻入れをおこなうなど、その評価には大きな不確実性のリスクがつきまとうものである。したがって、監査人が、これらののれんや無形資産の評価において適用されたマネジメントの仮定や判断の妥当性にフォーカスしたことは、妥当だと考えられる。

 無形資産の評価に関する主な仮定には、収益の成長率、割引率、および競争環境が含まれます。我々は、特に、Flatiron Healthのテクノロジー・プラットフォームの評価にフォーカスし、陳腐化率に関して追加の検討が必要と判断しました。この取引から生じたのれんは、ロシュの医薬品事業部門の資金生成単位に割り振られたが、Flatiron Healthのリアルワールドエビデンスを利用したグループの腫瘍学研究開発活動のベネフィットもたらされることを反映している。

監査人がフォーカスした過程や判断が説明されている。収益の成長率と、競争環境については、マネジメントの予測が大きく影響し、特に超過収益力をあらわすのれんの評価において重要である。インダストリーの知見も見積りにあたって必要だと思われる。 ただし、上の説明から監査人はむしろ、無形資産であるテクノロジー・プラットフォームの評価にフォーカスしたと判断できる。のれんの評価は、資産、負債に所得価格を配分した残余として求められることから、のれん自体の評価ではなく、識別可能資産であるテクノロジー・プラットフォームの評価にフォーカスしたものと思われる。また、のれんについては、その評価額とともに、どの資金生成単位(CGU)に割り振るかについてもフォーカスしていることがわかる。どの資金生成単位に割り振るかによって、将来の減損評価に影響することを考慮したものである。

Flatiron Health、Inc.の買収に関する詳細については、以下を参照してください。127頁(注記33、「重要な会計方針」)、46頁(注記1、「一般的な会計方針 - 主要な会計上の判断、見積りおよび仮定」)および58〜61頁(注記6、「合併および買収」)。


注記6には、フラットアイアン社のみならず、すべての合併および買収、資産の取得の案件が重要性に応じた詳細な情報が開示されている。
下は、フラットアイアン社の取得に関するものである。無形資産として製品関係無形資産608百万スイスフランと、市場関係無形資産87百万スイスフランの合計695百万スイスフランと、のれんが1,128百万スイスフランが含まれている。

ロシュ_Flatiron


注記33「重要な会計方針」、注記1「一般的な会計方針 - 主要な会計上の判断、見積りおよび仮定」には、会計方針に関する説明であり、取引に固有な情報は含まれていない。

 


続いて、以下が、KAMに対する監査手続である。

Flatiron Healthの取得に関連する、我々の監査手続には、取引を裏付ける契約関係書類の検討が含まれていた。また、デューデリジェンスおよび評価報告書に含まれる情報、ならびに取締役会に対するマネジメントの社内プレゼンテーション資料についても検討しました。

取引に関する理解を得るための手続きであり、リスク評価手続である。外部のバリュエーション専門家によるデューデリジェンスレポートを検討したり、企業内での稟議資料を検討することにより、見積りに使われたモデルやインプットの理解や、マネジメントの判断の領域を理解している。また、これらの資料の整合性についてもチェックして、全体として合理的かどうかを判断していると考えられる。

 

しかしながら、企業内マネジメントによる見積りのレビューや、取締役会でのレビューに関する内部統制について、監査人がどのように理解したのかについての説明は含まれていない。

このような取得取引は、ルーティン的に行われるものでなく、取引のあった都度に実施されるため、その内部統制を識別するのは難しい場合がある。しかしながら、特に「特別な検討を必要とするリスク」の場合、監査人は、リスク評価手続において、マネジメントがそのようなノン・ルーティン取引の重要なリスクに対してどのような対処したかを理解する必要がある。(ISA315.A146)。 

ISA315 A146

重要なノンルーティンな事象、または判断領域に関するリスクは、ルーティンな内部統制が効いていない可能性が高く、マネジメントは、そのようなリスクに対処するために別の方法で対応しているかもしれない。したがって、監査人はノンルーティンな事象または判断領域に関する「特別な検討を必要とするリスク」に対しては、そのコントロールのデザインと実装について理解する必要があるものの、マネジメントがそのようなリスクにどのように対応したかを理解することでも許容される。その場合、考えられるマネジメントの対応としては、

  • シニアマネジメントまたは、専門家が仮定をレビューするコントロール
  • 見積りを文書化するプロセス
  • ガバナンス責任者による承認
無形資産の評価に対する実証手続である。

 当社は、特定の無形資産を評価するためにマネジメントが使用するメソドロジーの妥当性を批判的に検討し、Flatiron Healthが事業を行っている事業分野の理解に基づいて、それらの無形資産の耐用年数を類似のテクノロジー・プラットフォームと比較しました。さらに、適切な範囲の陳腐化率の検討にあたって、代替的方法について検討しました。

無形資産の評価にあたってマネジメントは外部のバリュエーションサービスを利用しているが、監査人がバリュエーション専門家のサポートを受けているのかは分からない。下に説明されているように取得価格配分の評価において専門家のサポートを受けていることから、無形資産の評価についても、専門家がおこなっている可能性はある。

注記10「無形資産」にフラットアイアン社のからの無形資産585百万スイスフランの残存償却年数が14年となっているため、当期を含めて15年と見積もったと思われる。耐用年数の見積りについては、類似のテクノロジー・プラットフォームとの比較において評価したと説明されている。

ロシュ_無形資産
また、将来キャッシュフローの算定にあたって、テクノロジーの陳腐化率を考慮しているが、監査人が代替的方法を含めて検討していることが分かる。代替的な方法を考慮することにより、感応度を分析し、重要な虚偽表示リスクを評価しているものと思われる。
会計上の見積りに対する監査手続として、特に「特別な検討を必要とするリスク」の場合は、マネジメントが見積りの不確実性について適切に対処したことを評価することが求められるが、どのような評価を行ったかについては、特に言及されていない。

我々は、バリュエーション専門家の支援を受けながら、取得価格配分(Purchase Price Allocation)においてマネジメントが使用している主要な見積もりおよび仮定を評価した。この評価では、適用された割引率の妥当性と、収益の成長率と競争環境に関して行われた主な仮定に焦点を当てました。

当社は、同様の性質を持つ他の取引を参照し、また主要な仮定に対して感応度分析を行うとともに、セクターの専門知識に基づいてこれらの仮定を批判的に検討した。

取得価格配分において、監査人がバリュエーション専門家を利用していることがわかる。マネジメントから入手したデューデリジェンス・レポートをレビューし、そこで使われている主要な仮定を評価していると思われる。割引率については、株価収益率やマーケットリスクプレミアムなどから、ハリュエーション技法で算出できる。一方、収益の成長率や、競争環境に関する仮定は、マネジメントによる重要な仮定であるが、評価するのが難しい。監査チームは、同様の性質を持つ他の取引を参照し、セクターの専門知識に基づいて検討したとあるが、監査チーム外で、業界の知見を有するインダストリー専門家を利用したのかどうかは明確でない。

 

仮定に対して感応度分析を行えば、特にどの仮定の感応度が高いのかが分かるはずである。監査人は、感応度分析の結果、見積りがどれくらいのレンジで変動し、それが重要な虚偽表示リスクなのかどうかを評価しているはずである。批判的検討をしたのは分かるが、感応度分析の結果をどのように判断したかまではわからない。

監査のさまざま局面において、私たちはマネジメントが利用した社外のバリュエーションサービス業者に問い合わせをしました。

デューディリジェンスを実施した社外のバリュエーションサービス業者と思われるが、どういう目的で問い合わせをしたのかが疑問である。マネジメントが利用している専門家の独立性と能力を確認することは監査手続として必要であるが、監査のさまざまな局面で問い合わせした理由がよくわからない。マネジメントが利用する専門家は、マネジメントをサポートする役割である。監査人が直接、マネジメントが利用する専門家に問い合わせする必要性は通常はないはずである。 

私たちは、買収で認識されたのれんのレベルを正当化するために、Flatiron Healthのリアルワールド・エビデンスがロシュの事業内でどのように使用されるのか、またその他の予想されるシナジー効果について理解を得ました

我々はまた、ロシェの製薬事業部門の資金生成単位にのれんを配分するというマネジメントの判断の適切性を評価しました。

リアルワールド・エビデンス(臨床データ)がどのように使われ、それによるシナジー効果がどれくらいあるのかによって、のれんのレベルの妥当性や、CGUへの配分の判断の妥当性を評価したことがわかる。ただし、具体的に、どのように評価したのか、その評価にあたって、業界の知見を有するインダストリー専門家のサポートを利用したかまではわからない。 

我々はまた、買収に関する当グループの開示が関連する会計基準の要件を満たしているかどうかを評価した。

ISAでの要求事項は、開示のみならず、見積りの方法についても会計基準の要件を満たしていることを評価することも求めているが、KAMでの説明はこのように開示についてのみ会計基準への準拠性に言及するケースが多い。
(参考) 監査報告書に記載されているKAMの原文 (クリックして読んでください。)
ロシュ_KAM5

最後に、統治責任者の立場で、監査人に対して追加的に質問したい内容についてまとめてみる。

<リスク評価>

  • 「特別な検討を必要とするリスク」を識別したのかどうか。
  • 不正リスクは識別したのか、識別した場合は、どういう不正シナリオを想定したのか。
  • マネジメントが利用したバリュエーション専門家の独立性や能力はどのように評価したのか。
  • 取締役会のレビューを含む、企業内のレビュー体制や内部統制について監査人はどのように理解したのか。
<リスク対応>
内部統制
  • 重要なリスクに関連するとして識別された内部統制
  • 識別された内部統制の検証結果
  • 企業のマネジメントは、見積りの不確実性に対して適切に対処したのかどうかについての監査人の評価



実証手続
  • マネジメントの収益成長率や競合環境についてマネジメントが使った前提の合理性を評価するにあたって、比較に用いた同様の性質を持つ他の取引とは具体的にどういう取引か。比較した結果を、どのように評価したのか。また、インダストリーの専門家は利用したのか。
  • 重要な仮定の感応度分析の結果、もっとも感応度が高くリスクの高い仮定は何か。
  • のれんの評価額に、虚偽表示がないという判断を下すにあたって入手された十分かつ適切な証拠は何か。
  • シナジー効果の、のれんのレベルへの反映が合理的と判断した根拠は何か。
  • 無形資産の評価や、耐用年数の見積りにあたって、比較した類似のテクノロジー・プラットフォームとは具体的に何か。比較した結果をどのように評価したのか。
  • 陳腐化率の反映において、代替的方法をどのように評価したのか。代替的方法を採用しなかった理由は何か。
  • のれんのCGUへの割り当てが合理的と判断した根拠は何か。