KAMの事例でコーポレートガバナンス

2020年から日本でも導入されるKAM(Key Audit Matter)。日本では「監査上の主要な検討事項」と呼ばれ、企業の監査における重点領域に関する情報が、監査報告書で報告されるようになる。この監査における重点領域は、いわゆるリスクアプローチによって決定されることから、KAMを理解するためには、リスクアプローチの理解が重要になる。グローバル企業の監査に長年携わってきた監査のプロフェッショナルが、KAMの事例を紹介しながら、社外取締役や監査役などガバナンス責任者、さらに投資家などの方々に、KAMを理解すれば何がわかるのか、そして何がわからないのかについて、できるだけ簡単な言葉で、わかりやすくアドバイスします。

上場企業のガバナンス責任者は、KAMをテコにして、監査法人の監査手続に対する理解を深め、企業のガバナンスを強化することができます。投資家は、KAMを理解することにより、アニュアルレポートによる企業の開示をさらに深く理解することができます。 監査における情報の非対称性を解消し、資本市場の健全化に貢献したい。そのためのブログです。

2019年09月

KAMの事例分析 - (仏)エアバス SE(2)

エアバスのKAMの1つ目が、訴訟とクレーム、および法規制違反リスクである。

2018年アニュアルレポートはこちらからダウンロードできる。120-125頁の6ページにわたって監査報告書が含まれている。

リスクの内容が説明されているが、不正競争防止法とか、海外不正行為防止法、FCPA (Foreign Corrupt Practice Act)と呼ばれる法律に違反するリスクのことだとわかる。航空機の売り込みで、政府関係者への贈賄を行ったとして、法執行機関によって調査をうけているグループ会社があって、リスクが顕在化しているものもある。将来のペナルティにそなえるための引当金の見積りのリスクである。

訴訟とクレーム、および法規制違反リスク

リスクの説明


我々の事業の一部は、政府と直接または間接的に関連していることが多い顧客との個々の重要な契約をめぐっての競争を特徴としています。これらの活動に関連するプロセスは、法律や規制に違反するリスクがあります。さらに、我々は、商業的仲介業者の使用が通常の慣行である多くの地域で事業を展開しています。グループの特定の事業体は、とりわけ、サードパーティのコンサルタントに関する不正行為の疑いで、さまざまな法執行機関による調査中です。これらの分野における法規制違反は、罰金、罰則、刑事訴追、商事訴訟、および将来のビジネスの制限につながる可能性があります。


訴訟およびクレームには、潜在的に重要な金額が含まれ、引当金として負債計上すべき金額の見積りは、もしあれば、本質的に主観的なものです。これらの問題の結果は、我々の業績および財政状態に重大な影響を及ぼす可能性があります。


財務諸表の注記3「主要な見積りおよび判断」、注記22「引当金、偶発資産および偶発債務」および注記36「訴訟および請求」の開示を参照。

監査手続の中で、業界にもよるがFCPAのリスクも留意するのが普通である。上にも書かれているが、自社が贈賄に手を染めなくても、コンサルタントやベンダー、エージェントを使った場合、彼らがその行為を行う場合がある。会社は内部統制として、特に共産圏や開発途上国で、政府関係者への営業を行う場合には、そういった事態を防止するための方策を備える必要があり、監査人もそのリスクを評価することが求められるのである。

注記22の開示は以下のとおりである。当期で引当金の金額が倍以上に増えている。この辺りも監査人がリスクを感じた理由であろう。重要性の金額が292百万ユーロであるため、そのおよそ2倍弱の重要性である。
KAM(1-1)
注記36には、具体的に訴訟案件の説明がある。
その中に、注記22の脚注で書かれている台湾での贈賄事件に関する以下の開示が含まれている。
別の商業紛争の過程で、当社は子会社であるマトラ社(Matra Défense S.A.S.)が
中華民国(台湾)に対するミサイル売却の大規模な契約に関して、支払う義務のなかったと主張する購入価格の一部を払い戻し請求を受け取っています。 
2018年1月12日に仲裁裁定が行われ、マトラ社(MatraDéfenseS.A.S.)に対して、元本に利息と費用を加えた金額として、104百万ユーロの支払い命令がありました。裁定後の手続きは現在進行中です。

監査上の対応を読んでいこう。

我々は、仲介業者の選択、契約の取り決め、継続的な管理、支払い、およびポリシー違反の疑いへの対応に関する会社のポリシー、手続、およびコントロールを評価およびテストしました。


マネジメントおよび取締役会によって設定されたトーンと、このリスクを管理するためのアプローチを評価しました。


まず、会社のポリシー、手続やコントールの評価、テストを行っている。特に仲介業者を使う場合、エージェントへの報酬や交際費の支出などに、疑いがあるものをチェックするための社内の仕組みを評価している。

それに合わせて、マネジメントや取締役会が、適切な情報発信や、研修などをおこなってているかどうかのチェックをおこなっている。

次に、具体的な案件についての理解を深めるための手続である。
我々は、取締役会、監査委員会、倫理およびコンプライアンス委員会、ならびに社内および社外の法律顧問と、進行中の調査を含む、潜在的または疑われる法律違反の分野について話し合いました。第三者とのこれらの問い合わせの結果を裏付けるために、関連する非特権文書を評価しました。我々は、会社が贈収賄および汚職に関連する法令を遵守しているかどうかについて、マネジメント、監査委員会、倫理およびコンプライアンス委員会、および取締役会に質問しました。

我々は、他の監査手続きを実施する一方で、贈収賄および汚職に関連する法律および規制の重大な違反の可能性のある兆候に対して高いレベルの警戒を維持しました。

ガバナンス責任者やマネジメントとのディスカッション、さらに社外の顧問と既存の訴訟リスクについて問い合わせを行っている。ディスカッションや問い合わせで聞いた内容を文書で裏付けながら、さらに確証的質問によって裏付けている。

こういった手続にあたって監査人は職業的専門家としての懐疑心を発揮し、さらなる心証を得るために、外部の意見を聴取している。

我々は、特にハイレベルな判断が必要な案件について、マネジメントの主張を、外部の弁護士などの外部関係者からの評価と比較することにより、さらなる心証を得ました。

監査においては、外部のアナリストや専門家など、公開情報も含め、利用できる情報を利用することも重要である。特にリスクが高い、判断を伴う領域では、こういった手続は必要といっても良い。

最後に、開示に関する手続である。

法律または規制の潜在的または疑わしい違反の財務的影響に対する我々のエクスポージャーの財務諸表に対する注記36の開示が会計基準に準拠しているかどうかを評価しました。財務諸表の開示は、英国のSFO、フランスのPNF、および米国のDOJによる調査の現在の状況、および会計基準に従ったビジネスパートナー関係のレビューを反映していると判断しました。

エクスポージャーが十分に開示されているかどうか、投資家に理解可能な有用な情報が開示されてるいことを評価している。

(参考) 監査報告書に記載されているKAMの原文 (クリックして読んでください。)
KAM(1)

KAMの事例分析 - (仏)エアバス SE(1)

三菱ケミカルのKAMのあとは、また欧州の事例を読んでいこう。KAMをどこまで書くかは監査人の職業的専門家としての判断であるが、企業によって、あるいは国によっても、KAMの情報量に差があることに気づく。できるだけ幅広い事例を取り上げていきたいと思う。

エアバスSEは欧州会社として、オランダで登記されている。そのため、連結監査の監査報告書は、オランダの監査基準に基づいて、EYオランダが発行している。

2018年アニュアルレポートはこちらからダウンロードできる。120-125頁の6ページにわたって監査報告書が含まれている。

個別のKAMを読んでいく前に、監査報告書の冒頭部分の記載内容をチェックしたい。重要性のコンセプトの適用と、グループ監査の監査範囲についての説明が監査報告書に記載されている。

重要性のコンセプトの適用についての説明である。

重要性の基準値
€292百万ユーロ(2017年:€213百万ユーロ) 

適用されたベンチマーク 
調整後EBITの5%

説明 
我々は調整後EBITが、エアバスの統治責任者と我々の財務諸表のユーザーの期待に最も整合しており、ベンチマークとして最適であると考えました。


我々は、財務諸表の利用者にとって、定性的理由により重要であると思われる虚偽表示および/または潜在的な虚偽表示も考慮しています。我々は、監査中に識別された10百万ユーロを超える虚偽表示が報告されること、また、それよりも小さい虚偽表示であっても、我々の見解で定性的な理由で、取締役会の監査委員会(「監査委員会」)に報告することについて、監査委員会と合意しました。

オランダや英国に比べると情報量は少ないものの、少なくとも適用した重要性の基準値が監査報告書で開示してもらえるのは有り難い。調整後EBITがベンチマークとして採用されているという説明がされている。下の5,834百万ユーロのちょうど5%である292百万ユーロが重要性の基準値となっている。
A380やA400Mといった特定のプロジェクトの損失が調整項目となっていることがわかる。
僅少許容値は10百万円と開示されているが、手続実施上の重要性については開示されていない。
2017年も調整後EBITの4,235百万ユーロの5%の213百万ユーロが重要性の基準値であったが、IFRS15を適用して再表示するとEBITは3,190百万ユーロまで小さくなることが説明されている。

EBIT(1)
EBIT(2)

つぎにグループ監査での監査範囲についての説明である。

グループ監査の範囲 

エアバスSEは、企業グループを統括しています。このグループの財務情報は、エアバスSEの連結財務諸表に含まれています。


我々は、グループ監査チームとして、グループ監査を指揮、監督、および実行する責任があります。これに関連して、我々は、その規模および/またはリスクプロファイルに基づいて、事業体に対して実施される監査手続の性質および範囲を決定しました。事業体をグループ監査の対象とするのは、事業体の規模が大きい場合、会社に関連する重大なリスクがある場合、またはその他の理由で考慮される場合です。これにより、連結総売上の88%と連結総資産の91%がカバーされました。カバーされていない売上の12%、総資産の9%を構成する事業体で、個別に売上の1%以上を占める事業体はありません。これらの事業体については、財務諸表には重要な虚偽表示がないという評価を裏付けるための分析手続などを実施しました。

カバレッジとして、売上、総利益ともに、およそ9割をカバーしており、十分なレベルであることがわかる。また、残余のおよび1割については、グループ監査のレベルでの分析手続を行っていることが説明されている。
ただし、カバレッジが、フルスコープ監査でカバーしているのか、特定の勘定科目の監査手続でカバーしているのかはわからない。

グループ監査を、グループ監査チームがどのように指揮し、監督したかについての説明が続いている。

我々は、グループ監査チームとして、グループ監査全体の監査計画を実行しました。その中には、リスク評価や監査計画のディスカッションへの参加、グループ監査業務の方向性の決定(事業部および事業体の監査を担当する監査チームへの指示を含む)、計画された監査アプローチのレビューとディスカッション、グループの財務報告プロセスと連結決算のプロセスの理解と手続の実行、主要な会計トピックの評価への関与、財務諸表のレビュー、さらに会社とその事業部門のマネジメントとのミーティングへの参加が含まれました。

監査指示書には、主要なプログラム(A220、A350、A380、A400M)や法規制違反のリスクに対する特別な監査手続も含まれています。

税務、保険数理、財務およびコンプライアンス部門のスペシャリストを含む、複数のEYスペシャリストが監査チームをサポートしました。

専門家の利用も含め、通常のグループ監査のプロセスである。主要なプログラムや法規制違反のリスクに対する特別な監査手続を監査指示書に含めていることが説明されている。KAMとされたリスクでもあることから、コンポーネント監査チームにKAMへの対応を指示していることがわかる。

グローバルの監査チームの構成、グループ監査チームのコンポーネント監査人による監査手続への関与についての説明である。

 3つのエアバス部門の監査は、EYネットワーク監査法人と非EY監査法人によって共同で実施されました。グループ監査チームに報告された調査結果についてディスカッションをするために、事業部担当の監査チームおよび事業部のマネジメントとのミーティングを開催しました。さらに、EYネットワーク監査チームおよび非EY監査法人で調書レビューを実施しました。


上記の手続をグループ企業レベルで実行し、さらにグループレベルで追加の手続を実行することにより、我々は連結財務諸表に関する意見を形成するために必要な、財務情報に関する十分かつ適切な監査証拠を入手することができました。

連結監査はEYが監査人として選任されているが、部門レベルでは、EYネットワーク以外の監査法人との共同監査が行われている。おそらく、フランスでは共同監査が義務付けられているため、その規制が及ぶ部門については、共同で監査を行っているためだと思われる。
EYのグループ監査チームとしては、コンポーネント監査人がEYであるかどうかにかかわらず、調書のレビューを実施し、グループ財務諸表全体とした監査意見を形成するために十分かつ適切な監査証拠を入手していることを確認している。

最後にKAMに関する説明である。

監査上の主要な検討事項

監査上の主要な検討事項とは、監査人の職業的専門家としての判断により、財務諸表の監査において最も重要であると判断された事項です。監査上の主要な検討事項を監査委員会に伝えました。監査上の主要な検討事項は、議論されたすべての事項の包括的な反映ではありません。これらの問題は、財務諸表全体の監査およびそれに関する意見の形成に関連して対処されたものであり、これらの問題に関する個別の意見は提供しません。

KAMが財務諸表全体の監査の文脈の中での情報開示という位置づけであり、別個の監査意見であると受け取られないための説明である。

KAMとして識別されている事項は以下の6つである。
  • 訴訟とクレーム、および法規制違反リスク
  • 収益認識 (IFRS 15の適用を含む)
  • 不利な契約の会計処理と契約マージンに関する見積りと、一定の期間にわたる重要な契約の契約マージンの見積り
  • 重要なプログラムに関連する資産の回収可能性
  • デリバティブ金融商品(IFRS 9の適用を含む)
  • CSALPの買収(PPAに関連する判断)
いずれも、マネジメントによる見積りや判断の影響の大きいリスクがKAMとなっていることがわかる。
これらの個々のKAMについては、次回以降読んでいこうと思う。
 
監査報告書(冒頭部分)の原文は、この記事の最後に貼り付けているので、参考にして欲しい。
(クリックして読んでください。)

冒頭

KAMの事例分析 - (日)三菱ケミカル(5)

前回は、三菱ケミカルのKAMを欧州の先行事例とベンチマークしたが、KAMの導入が監査に与える影響を考えてみたい。

これまで、監査人とガバナンス責任者との間では、監査の重点領域について一定のコミュニケーションが行われていたものの、社外に対しては短文式の監査報告書が提供されるだけで、その中身について知ることはできなかった。

KAMが開示されれば、ISAという監査のグローバルスタンダードにもとづいた、監査人のリスク評価から、リスクへの対応手続を海外企業と比較することも可能となる。

KAMの導入により、グローバルな資本市場に投資している投資家にとって有用な情報が開示されるので、資本市場の活性化に寄与することが期待できる。それだけに、ボイラープレートにならずに、監査人が当期の監査で特に注意を払った企業特有の状況への対応をKAMとして報告してもらいたい。そして、監査報酬を最終的に負担している投資家にとって有用な監査報告書を発行する監査法人が選別されるようになるのではないかと思う。

それでは、三菱ケミカルの最後のKAMを読んでいこう。繰延税金資産の評価である。将来の課税所得の見積りと繰延税金資産の回収可能性がリスクであり、KAMとしてはよくある内容である。それだけにボイラープレートにならずに、監査人が当期の監査で特に注意を払った企業特有の状況がリスクとして識別され、リスク対応手続がテイラーされているかに留意しながら読んでいきたい。

KAMの原文は三菱ケミカルのホームページの、IRトピックスのお知らせの中に含まれている。監査報告書は、三菱ケミカルホールディングスの2019有価証券報告書の177頁に含まれているが、短文式のものであり、KAMは含まれていない。

まずは、リスクの内容と、KAMと決定した理由についての説明である。
繰延税金資産の評価

監査上の主要な検討事項に相当する事項の内容及び決定理由  
会社は、2019 年3月 31 日現在、連結財政状態計算書上、繰延税金資産を 84,509 百万円計 上しており、連結財務諸表注記 11.に関連する開示を行っている。 会社は、将来減算一時差異及び税務上の繰越欠損金に対して、予定される繰延税金負債の取崩、予測される将来課税所得及びタック ス・プランニングを考慮し、繰延税金資産を認識している。特に、会社は、過年度に生じた税務上の繰越欠損金を有しており、予測される将来の課税所得の見積りに基づき、税務上の繰越欠損金に対する繰延税金資産を 64,069 百万円計上している。
注記11が参照されているのが、繰延税金資産の金額84,509百万円の数字は注記11ではなく、財政状態計算書を参照する必要がある。
(クリックして読んでください。)
三菱ケミカル_KAM(4-4)三菱ケミカル_KAM(4-5)

繰延税金資産 84,509百万円と繰延税金負債 177,410百万円の純額 △92,901百万円( = 84,509百万円 - 177,410百万円)が、注記11につながっている。また、繰越欠損金に対して認識された繰延税金資産64,069百万円も、注記11で確認できる。

三菱ケミカル_KAM(4-2)

注記11には、繰延税金資産が認識された将来減算一時差異および繰越欠損金とともに、回収可能性が見込めないとして、繰延税金資産が認識されていない将来減算一時差異および繰越欠損金が、以下のように開示されている。
三菱ケミカル_KAM(4-3)

繰越欠損金 374,604百万円に対する繰延税金資産58,308百万円が、回収される可能性が低いとして未認識となっており、その失効期限別の内訳が開示されている。また、繰越欠損金に加えて、将来減算一時差異 106,112百万円に対する繰延税金資産 30,172百万円も未認識であることがわかる。
この回収可能性の評価のための将来課税所得の見積りや経営者の判断に関する不確実性が主なリスクである。

監査人のリスク評価において、このリスクをKAMと判断した理由は以下のとおりである。
将来の課税所得の見積りは、将来の事業計画を基礎としており、そこでの重要な仮定は、主に売上の成長の見込み及び原料価格の市況推移の見込みである。 繰延税金資産の評価は、主に経営者による将来の課税所得の見積りに基づいており、その基礎となる将来の事業計画は、経営者の判断を伴う重要な仮定により影響を受けるものであるため、当監査法人は当該事項を監査上の主要な検討事項に相当する事項に該当するものと判断した。 
事業計画に基づいた課税所得の見積りの不確実性が、売上の成長や原料価格の市況推移の見込みに関する仮定に依存していることの説明である。他のKAMと同様に、KAMと判断した理由が、当期の監査に関連する企業の特定の状況への関連付けが弱いと感じる。
注記の中ではタックスプランニングを考慮して繰延税金資産を評価していると説明されており、特に三菱ケミカルは多額の繰延税金負債を計上していることから、これが将来の課税所得を増加させる効果とタイミングをマネジメントがどのように考慮しているかに着目してリスクを評価することはできなかったかと思う。

それでは、監査人のリスク対応を読んでいこう。
監査上の対応
当監査法人は、繰延税金資産の評価を検討するにあたり、主として以下の監査手続を実施した。
  • 一時差異及び税務上の繰越欠損金の残高について、税務の専門家を関与させ検討するとともに、その解消スケジュールを検討した。
  • 経営者による将来の課税所得の見積りを評価するため、その基礎となる将来の事業計画について検討した。将来の事業計画の検討にあたっては、経営者によって承認された直近の予算との整合性を検証するとともに、過年度の事業計画の達成度合いに基づく見積りの精度を評価した。
マネジメントによる見積り方法とその妥当性を評価している。一時差異と繰越欠損金の残高の検討には税務専門家を利用しているが、将来の解消スケジュールの検討は、監査チームで行っていると思われる。
将来課税所得の評価については、事業計画を直近の承認済みの予算と合わせるともに、過年度の事業計画と実績を比較することにより、事業計画の精度を評価している。繰延税金資産が重要な会計上の見積りとして識別された場合に、通常実施される手続である。

予算や事業計画の精度などについて検討しているものの、それらのレビューや承認プロセスといった内部統制については、言及されていない。監査人としてはリスクとの関連性が少ないと判断したものと思われる。

実証的な手続として、事業計画のベースとなっている仮定や将来の売上の成長率や原料価格の市況推移の見込を検証している。
  • 将来の事業計画に含まれる重要な仮定である売上の成長見込み及び原料価格の市況推移の見込みについては、経営者と議論するとともに、過去実績からの趨勢分析及び利用可能な外部データとの比較を実施した。
  • 将来の事業計画に一定のリスクを反映させた経営者による不確実性への評価について検討した。 
手続としては、経営者とのディスカッション、過去の実績からの推移分析、外部データとの比較を実施したという説明である。インダストリーの専門家の利用はしていないが、監査チームで十分な専門性があったという判断があったと思われる。
ISA540で求められている手続であるが、経営者による不確実性の評価について検討したとあるが、具体的にどのような検討を行ったのかはわからない。

全体的な感想としては、努力は感じられるものの、他のKAMと同じく、識別されたリスクと企業の特定の状況との関連付けが弱いと感じる。手続の結果や監査人の所見がKAMに含まれていないことに加えて、例えば、同じ繰延税金資産の評価をKAMとしているドイツ銀行の場合は、内部統制の評価についても言及しているなど、欧州の先行事例と比較すると、手続の内容の具体性や詳細さのレベルに差があると感じる。

また、欧州企業の監査報告書は、KAMを記載するだけでなく、監査アプローチや、重要性の概念の適用、さらにグループ監査のカバレッジについて、詳細な情報が提供されており、それらがKAMを理解する上で役に立っている。日本の上場企業では、翌期からKAMが導入されるが、これに相当する情報が提供されるのかどうかが気になる点である。

(参考) 監査報告書に記載されているKAMの原文 

三菱ケミカル_KAM(4)

監査報告書へのKAMの記載内容について

三菱ケミカルのKAMを欧州の先行事例とベンチマークしながら読んできたが、欧州の平均的な水準と比較するとリスクの説明も、リスクへの対応も、今ひとつ欧州の先行事例の域には達していないという印象が拭えない。その差についてより深く理解するために、ここでISA701の規定と照らし合わせてみたい。監査報告書が、その利用者に有用な情報を十分に提供できているかどうかについて、ISA701との関係で確認してみようと思う。

これまで読んできた三菱ケミカルのKAMを、欧州の先行事例でベンチマークして気付いた点を簡単にまとめると以下のようになる。
  1. KAMとして識別されたリスクの説明が、企業の特定の状況に直接的に関連付けれた具体的な内容になっているかどうか。
  2. リスク対応手続が企業の特定の状況に直接的に関連するリスクに対応してテイラーされているかどうか、すなわち通常実施する典型的な手続になっていないか。
  3. リスク対応手続が、ISAの要求事項に準拠し、企業のプロセスと内部統制の評価と、実証手続の両方について説明されているかどうか。また開示についても考慮しているかどうか。
  4. リスク対応手続の結果に関する情報が含まれているかどうか。
  5. 監査人の所見が示されているかどうか。
まず、1.と2.について、
のれんや無形資産の見積りに内在する不確実性がKAMとして識別されていたが、そこで識別されているリスクは、のれんや無形資産の認識やその減損評価での典型的なリスクであって、企業に固有の状況にまでは直接的に関連付けられていなかった。そのため、リスク対応手続も、金額的に重要性のあるのれんや無形資産に着目していたものの、手続自体は一般的な手続であった。

次に、3.と4について、
リスク対応手続として専門家を利用して使用価値の算定方法を評価したことが説明されていたが、企業の内部統制についての言及がなかった。欧州の先行事例でも内部統制について言及していないKAMもあったので、この辺りはKAMの内容や監査人の職業的専門家としての判断によって分かれる部分であろうと思う。そうはいっても、監査報告書の利用者としては、企業に見積りの不確実性に対応する適切な内部統制があるのかどうかというのは、有用な情報ではないだろうか。
実証手続については、専門家を利用して、例えば割引率を外部データと比較して評価するとか、感応度の高い仮定やインプットの評価を検討したという点は欧州と先行事例と同様であった。ただし、開示については言及がされていなかった。

また、BAE Systemsロシュといった欧州の事例では、感応度が高いインプットや仮定の評価において、それらが合理的な範囲で変化した場合でも、重要な虚偽表示リスクにつながらないことを感応度分析により定量的に検証したことがより詳細なレベルで説明されていた。

また、三菱ケミカルの場合、リスク対応手続の結果についての言及はなかった。一方欧州の先行事例では、例えばBAE Systemsのように、内部統制テストの結果、デザインと運用に不備があり、監査範囲を拡大する必要があったといった情報も含まれていた。

最後に5.について、
三菱ケミカルのKAMでは、KAMに対する監査人の所見は示されていない。欧州の先行事例を読んできて、これまでKAMの記載の中に監査人の所見を含めていないのはスイスのロシュだけであった。英国4社、オランダ1社、ドイツ1社のKAMにはすべて監査人の所見が含まれており、含めるのが主流ではないかと思われる。

それでは、これらの点についてISA701がどのように規定しているかを確認していこう。
個々のKAMの説明
13.監査報告書のKAMセクションに含まれるKAMの説明には、関連する開示への参照(もしあれば)とともに、以下について言及すべきである。
(a)その事項が監査において最も重要なものの1つであり、したがってKAMであると考えられた理由 (参照 A42–A45)

(b)その事項が監査でどのように対処されたか。 (参照 A46–A51)

ISA701はKAMの記載にあたっては、そのリスクが、なぜ監査において特に注意をする必要がある最も重要な事項の一つであると判断されたのか、さらに、そのリスクに対してどのように監査で対応したかについて説明することを要求している。これはISAの要求事項であるため、すべてのKAMにこれらの説明が含まれている。

次に、上の、「なぜこの事項が監査において最も重要と考えたか」の説明については、以下のような指針が示されている。

監査人がこの事項を監査で最も重要なものの1つと見なした理由(参照:13(a))  


A42 監査報告書に「監査上の主要な検討事項」の内容を説明する趣旨は、その事項が「監査上の主要な検討事項」であると判断された理由に関する洞察を提供することを目的としている。
したがって、「監査上の主要な検討事項」の決定にあたって監査人が考慮すべきISAの要求事項(9項から10項およびA12項からA29項)は、監査人が監査報告書でそのような事項をどのように記載するかについて検討する際にも役立つと考えられる。
なぜなら、監査人が、監査においてその特定の事項に特に注意を払うことが必要があり、最も重要であると結論付けたか理由ついて説明することは、監査報告書の利用者にとっても関心が高いと考えられるからである。 


A43 「監査上の主要な検討事項」の説明にどういった情報を含めるかを決定するにあたっては、監査報告書の利用者にとって目的適合性を考慮する。監査報告書の利用者が、その説明によって、監査および監査人の判断について理解を深めることができるかどうかも含まれる。 

KAMは企業のガバナンス責任者にコミュニケートした事項の中から、監査人が特に注意を払うべき、監査において最も重要な事項の一つであると監査人が判断したものであるから、その監査人の判断の根拠をKAMで説明すれば、監査報告書の利用者の理解にも役立つはずということである。なぜ監査人がその事項に特に注意を払うべきと考え、そして最も重要な事項の一つであると判断したのかについて、監査報告書の利用者の理解のために説明すべきという指針である。具体的には、KAMを決定するにあたってのISAの規定(9項から10項およびA12項からA29項)を踏まえた説明をKAMの中で説明することを推奨していると考えられる。

これらのISAの規定は、監査人がリスクアプローチでリスクを識別し、リスク対応手続を実施するにあたって、特に専門性や複雑性、困難な状況などがあり、監査人として注意を払う必要があったリスクをKAMとして識別すべきであることを示している。重要な会計上の見積りなど、マネジメントの判断を必要とする領域に関する事項は、監査人からガバナンス責任者へのコミュニケーションに含まれているはずであり、そういった事項のうち相対的に重要性の高いものからKAMは決定されるとしている。そのようなKAMの決定プロセスが監査報告書の利用者にも説明されることが推奨されているのである。

KAMのリスクを説明するにあたって、何をどこまで説明するかについての指針が以下に示されている。

A44 企業の特定の状況に直接関連付けながらKAMを記載することによって、KAMが過度に標準化され、有用性が低くなる可能性を最小限に抑えられます。たとえば、特定の事項が、インダストリーの状況や財務会計報告上の複雑さのために、特定の業界の多くの企業の「監査上の主要な検討事項」となる場合がある。

監査人がこの事項を最も重要なものとみなした理由を説明する際、企業固有の側面(たとえば、当期の財務諸表で下された判断に影響を与えた状況)を強調することにより、監査報告書の利用者にとって、より目的適合性のある情報を提供できる場合がある。

これは、毎期繰り返し識別される「監査上の主要な検討事項」の内容を説明する際にも重要です。 

ここでのポイントは企業の特定の状況に直接的に関連付けながらKAMを記載することである。そうすることにより、KAMがボイラープレート化することが防止できるといっている。企業の特定の状況をリスクと関連付けないと、そのKAMの記載は、例えばのれんの減損の見積りをリスクをKAMとしている他の企業にも使い回せることなってしまう。その結果として、監査報告書の利用者にとってのKAMの有用性が、棄損してしまうことが危惧されているのである。
監査人が、この事項をKAMと判断した理由の説明として、その企業の特定の事象や状況と、マネジメントの特定の判断との関連を強調して説明することが、監査報告書の利用者にとって目的適合性のある有用な情報を提供することにつながると考えられている。

BAE SystemsロシュのKAMでは、のれんや無形資産減損リスクへの対応として、監査人は企業の事業ユニットごとの帳簿価額と使用価値との差額(Head room)や、感応度分析の結果を強調しながら、特にリスクのある事業ユニットを絞り込んでいた。この指針への対応だと思われる。

また、マークス&スペンサーのように、前期のKAMが当期においてどう変わったかをKAMの中で示している例もあったが、過半のKAMは前期から引き継がれているのが通常である。毎期繰り返し識別されるKAMの場合、毎期同じ説明になることを避けるためにも、各事業年度おける企業の特有の状況に着目することの必要性が示されている。

パラグラフA45は、そのような特有の状況の例が挙げられている。

A45 「監査上の主要な検討事項」の説明は、監査の状況において、監査人が最も重要な事項の1つであると判断する要因となった主な検討事項に言及する場合がある。例えば、 

  • 特定の金融商品の取引市場に流動性が無いなど、監査人が監査証拠を入手する能力に影響を与えた経済状況
  • 企業固有または業界固有の事項に対する新規または新興の会計方針など、監査チームがファーム内のコンサルテーションを利用した事項
  • 財務諸表に重要な影響を与えた企業の戦略またはビジネスモデルの変更 
特有の状況の例は、下のような場合と考えられ、いずれも当期の監査における企業にとって固有の状況が示されている。
  • 金融商品の評価は、見積りのリスクとしてKAMになりやすいが、特に、経済状況により、特定の金融商品の流動性が無くなって、適切かつ十分な証拠の入手に困難性がある場合。
  • また、業界固有の事項に対する会計方針の適用など、監査チーム内での判断について、監査法人事務所(ファーム)内のコンサルテーション制度を利用するなど、会計基準の適用にテクニカルな複雑性かがある場合。
  • また、企業の戦略やビジネスモデルの変更が財務諸表に重要な影響を与えた場合、その経済的合理性の判断や会計基準の適用の妥当性が問題になる場合
三菱ケミカルのKAMの場合も、のれんや無形資産の減損テストに関連して、のれんの評価については、事業計画と割引率が特に重要なインプットとして説明されていたし、また無形資産については、特に金額の大きいニューロダーム社とメディカゴ社にリスクがあると説明されていた。これらは、確かに企業特有の情報ではあるものの、上の例で挙げられているような、当期における特定の状況や事象もしくは監査上の判断とまでは言えない。仮に翌期において重要な企業結合が無ければ同様の状況があると思われるし、手続の内容もそれほど変わらないのではないかと推察できる。

以上が、KAMのリスクについての説明であったが、次はそのリスクへの対応の記載についてである。

「監査上の主要な検討事項」への監査上の対応(参照:13(b))

A46  監査においてKAMがどのように対処されたかを説明するために監査報告書でどこまで詳細な情報を提供するかは、専門家の判断の問題である。 パラグラフ13(b)に従って、監査人は以下の項目を個別に、または組み合わせて記載することを検討する。
  • KAMへの関連性がもっとも強く、また、識別された重要な虚偽表示リスクに対して固有に対応する監査人の対応またはアプローチ;
  • 実施された手続の概要
  • 監査人の手続の結果
  • KAMに関する重要な所見、
法律または規制または各国の監査基準は、KAMの説明のための特定のフォームまたはコンテンツを規定する場合がある。
三菱ケミカルのKAMに記載されている監査上の対応について、例えばのれんについては、専門家を利用し、マネジメントによる使用価値の算定方法を検証するとともに、割引率を評価したことが説明されていた。事業計画については、過去の事業計画と実績との比較により計画の精度を評価したことが説明されていた。さらに実証手続として、将来計画を類似企業データなどと比較するとともに、割引率を専門家の独自見積りと比較しテストしたことが説明されていた。しかしながら、その結果については説明がされておらず、また内部統制についても、監査人の評価は含まれていなかった。

確かに、パラグラフA46は、"the auditor may describe"としており、ここで挙げられた4つの項目をすべて記載することは要求されてはいない。しかしながら、監査人は、ISAで「may」と書かれていれば、少なくともこれらを含めることを検討した上で、何かの理由があって含めないと判断しているはずである。
ISAで同様の規定は見つけられなかったが、米国の上場企業に適用される監査基準では、以下のような規定があり、職業的専門家である監査人であれば、ISAでも同様の読み方をしているはずである。
規則3101. 監査および関連するプロフェッショナル・スタンダードで使用される特定の用語
この規則は、監査および関連するプロフェショナル・プラクティス・スタンダードで使用される特定の用語が、監査人に課す責任の範囲を規定するものである。
  1. 無条件の責任:「must」、「shall」、および「is required」という用語は、無条件の責任を示す。監査人は、要件が適用される状況が存在するすべての場合に、この責任を果たすことが必要である。無条件の責任を果たさないことは、関連する基準および規則3100の違反である。
    注:監査人が代替的手段によりスタンダードの目的を達成することができると信じているまれな状況では、監査人は、監査手続の計画と実施を文書化する一環として、目的が達成されたことを示す情報を文書化しなければならない。
  2. 義務が推定される責任:「should」という言葉は、義務が推定される責任を示します。監査人は、要件が適用される状況でとった代替行動がスタンダードの目的を達成するのに十分であったことを証明しない限り、基準で指定されたこの要件を遵守しなければなりません。義務が推定される責任を果たさないことは、監査人が、その状況においてスタンダードの目的を達成するために指定された責任を順守する必要がなかったことを証明しない限り、関連するスタンダードおよび規則3100の違反である
  3. 検討すべき責任:「may」、「might」、「could」、およびその他の用語および語句は、監査人が検討すべき責任を負うアクションと手続を説明している。このように記述された事項は、監査人の注意と理解を必要とするものである。監査において、これらの事項をどのように実施するか、あるいは、実施するかどうかの判断は、監査人の職業的専門家として、スタンダードの目的と整合するように判断した結果による。
    注:監査人がアクションまたは手順を「検討」すべきであるとスタンダードが規定している場合、アクションまたは手続の検討は必須と推定されるものの、必須ではない。
上の3では、監査基準で「may」と書かれた場合、監査人はこれらの事項を検討する責任を有すると明記されている。さらに監査人はこれらの事項について注意を払うとともに理解することが要求されている。実施するのは必須と推定されるが、必須ではなく、監査人の職業的専門家としての判断としている。しかしながら、必須と推定される以上、推定を覆すためには理由が必要である。また、職業的専門家としての判断については、監査調書への文書化が要求されることは、以前の記事で説明したとおりである。
したがって、監査人は「may」であっても、これらの事項について注意を払い、理解したことを監査調書に文書化し、理由がないかぎり実施する必要があると考えるのである。

また、内部統制については、それが識別された企業固有のリスクへに対応する手続でなければ記載する必要はないと考えられるが、それも監査人の職業的専門家としての判断であり、記載しないのであれば、識別したリスクと内部統制が直接的に関連しないという合理的な説明ができる必要があろう。

以下の指針については、一つ一つ読んでいくことにしよう。
A47 監査報告書の利用者が財務諸表全体に対する監査の文脈の中で、「監査上の主要な検討事項」の重要性、および「監査上の主要な検討事項」と監査人の意見を含む監査報告書の他の要素との関係を理解するために、「監査上の主要な検討事項」の説明で使用される言葉について、次のような注意が必要になると考えられる: 
  • 監査人が財務諸表に対する意見形成において、これらの事項に対する監査人の手続が適切に完了していないと受け取られないこと 
  • 一般的または標準化された表現を避けながら、 これらの事項を企業の固有の状況に直接関連付ける
  • 財務諸表の開示でこれらの事項がどのように扱われるかを考慮に入れる
  • 財務諸表の一部の要素に対する個別の意見、またはそのように受け取られる表現を含めない
パラグラフA47は、これら一つ一つについて注意して、記載することが「may be necessary」という指針である。
KAMの導入は監査報告書の情報提供機能を強化し、監査報告書の透明性を高めるものであるが、監査意見形成のフレームワークを変えるものではないという前提がある。したがって、KAMが監査報告書に含まれても、財務諸表全体に対する監査意見は影響されないのである。

そのため、注意しなくてはいけない1つ目が、監査人の監査手続が完了していないと受け取られるような記載内容になっていないことである。

2つ目は、繰り返しになるが、KAMを企業の固有の状況に直接的に関連付けることにより、ボイラープレート化させないことである。

3つ目は、KAMが財務諸表の開示において、どのように取り扱われているかも考慮することである。そのため、これまで読んできた欧州の先行事例では、実証手続の中で開示の適切性について検証していることが言及されていた。しかしながら、三菱ケミカルのKAMでは開示に対する言及がなかった。来期以降、正式なKAMになれば改善されるものと期待したい。

最後は、KAMの記載が、財務諸表の一部に対する個別の監査意見と受け取られるような記載とならないように注意することである。KAMの導入は従来の監査意見形成のフレームワークを変えるものではないという前提とも関わってくるが、KAMは、あくまで財務諸表全体に対する監査の文脈の中で理解されるべきものであり、個別の意見ではないということである。

しかしながら、KAMとしてリスクを識別し、リスクに対応する手続と、その結果、さらに監査人の所感まで書いてしまえば、個別の監査意見として取られかねない。そのため、監査人は訴訟リスクを恐れ、KAMに対するリスク対応手続の結果や、監査人の所感を記載するのはできれば避けたいのではないだろうか。そのため、欧州の先行事例では、どれも以下のような断り書きをKAMのセクションの冒頭部分に含めて、KAMが個別の意見でないことを明示するようにしている。
<ロイヤル・ダッチ・シェルの例>
これらのKAMは、シェルの連結財務諸表の監査およびその意見形成の文脈の中で対応されており、これらの事項に関する個別の意見を提供するものではない。
以下の表は、KAMの内容、監査手続の概要、および監査委員会に伝達した主要な所見から構成されている。


以下は、追加的な指針であるが、読み進めていく。

A48 企業の固有の事実および状況に合わせて、監査アプローチを大幅にテイラーすることが必要となった場合、「監査上の主要な検討事項」に対する監査人の対応またはアプローチのさまざまな側面を説明することは、監査報告書の利用者が、そのような通常でない状況において、監査人が重要な虚偽表示のリスクに対処するために必要とされた監査人の重要な判断を理解することを容易にできる可能性があります。さらに、監査アプローチは、企業の特定の状況、経済状況、またはインダストリー環境の変化によって影響を受ける可能性があります。
また、監査人にとって、「監査上の主要な検討事項」についてガバナンス責任者とのコミュニケーションの内容と範囲を参照することも有用です。 

KAMへの対応手続は、リスクアプローチの適用そのものである。監査人は企業とその取り巻く環境を理解し、重要な虚偽表示リスクを識別し、そのリスクに対応するようにデザインされた監査手続を実施する。特にKAMへの対応は、監査人が特に注意を払うべき企業の特定の状況、経済状況、またはインダストリー環境の変化をリスクと識別し、それに対応するために手続を大幅にテイラーしていることが想定される。そのような通常でない状況で、監査人がどのような判断を下したかをKAMに含めることが、監査報告書の利用者にとって有用であるということである。

また、そういう事項について、監査人はガバナンス責任者とコミュニケーションしているはずなので、その内容を参照することも有用であるということである。

上でKAMセクションの冒頭部分の記載を引用したロイヤル・ダッチ・シェルは、KAMのそれぞれについて、監査人の所見とともに、監査委員会とのコミュニケーションの内容を記載している。この指針に従ったものだと考えられるし、実際に利用者にとって有用な情報である。

次に専門家の利用について言及する場合の追加的指針である。

A49 たとえば、複雑な金融商品の評価など、見積りの不確実性が高いと会計上の見積りに対する監査人のアプローチを説明する際に、監査人が監査人の専門家を利用したことを強調したい場合があります。監査人の専門家の利用についての言及は、財務諸表への意見に対する監査人の責任を軽減するものではないため、ISA 620.32パラグラフ14〜15と矛盾しない (監査報告書に専門家の業務の利用に関する記載してはならないというパラグラフ14〜15と矛盾しない)。 

これまで読んできたKAMの事例の多くに専門家の利用について言及されていた。ISA620 「専門家の利用」に、監査報告書の中に専門家を利用したことを記載すると、監査人の責任が限定されていると理解される可能性があるので、言及してはならないという規定があることが、KAMへの対応として専門家の利用について言及することが抵触しないという意味である。KAMの記載は、財務諸表全体に対する監査意見のフレームワークを変えるものではなく、監査人の責任を限定するものではないからである。

さらに追加的指針が続いている。

A50 特に監査において複雑で判断の要求される領域では、監査人の手続を説明することが難しい場合がある。特に、重要な虚偽表示リスクに対して監査人が実施した手続を簡潔な方法で要約し、監査人のリスク対応手続の内容と範囲や、重要な判断を適切に伝えることは困難な場合がある。それでも、監査人は、「監査上の主要な検討事項」が監査でどのように対処されたかを伝えるために実行された特定の手続を記述する必要があると考えるかもしれません。そのような説明は、手続の詳細な説明を記載するのではなく、手続の概要についてのハイレベルな記載にとどめることが通常と考えられる。

監査人の手続をKAMに説明するにあたって、特に複雑な会計上の判断が必要となる領域では、リスク対応手続を簡潔に書くことが難しい場合があるが、そういった場合は、過度に詳細な記載にせず、手続の概要がわかれば良いという指針である。

最後にリスク対応手続の結果を書くことについての指針である。

A51  A46項で述べたように、監査人は、監査報告書の「監査上の主要な検討事項」の説明に監査人による対応手続の結果を示すこともできます。ただし、これが行われた場合、説明が個々の監査上の主要な検討事項に関する別個の意見を伝えている、または何らかの形で財務諸表全体に対する監査人の意見に疑問を投げかける可能性があるという印象を監査人が与えないように注意する必要があります。
繰り返しになるが、KAMが財務諸表全体の監査手続が完了していないとか、KAMの記載自体が個別の意見であると取られかねないよう注意する必要があるということである。そうは言っても、監査手続の記載を書く必要がないと言うわけではないということは、上で解説したとおりである。

今後も、上で述べたような点に着目しながら、KAMの評価を続けていきたい。


KAMの事例分析 - (日)三菱ケミカル(4)

今回も引き続き三菱ケミカルのKAMを取り上げて、欧州の先行事例とベンチマークしていきたい。監査のグローバルスタンダードであるISAに準拠している以上、日本のKAMであろうと欧州のKAMであろうと、同じレベルの情報が投資家に提供されることを期待したい。監査を実施する上で、特に注意を払うべき領域に大きな差はないはずである。三菱ケミカルのようにIFRSで財務諸表が作成されているのであればなおさらである。それでは引き続きKAMを読んでいこう。

KAMの原文は三菱ケミカルのホームページの、IRトピックスのお知らせの中に含まれている。監査報告書は、三菱ケミカルホールディングスの2019有価証券報告書の177頁に含まれているが、短文式のものであり、KAMは含まれていない。

3つ目のKAMは、耐用年数を確定できない無形資産の評価である。耐用年数のある無形資産の場合は、その年数で規則的に償却されていくが、耐用年数を確定できない無形資産の場合は、のれんと同じように償却はされず、減損評価の対象となる。
耐用年数を確定できない無形資産の評価

監査上の主要な検討事項に相当する事項の 内容及び決定理由
連結財務諸表注記 13.に記載されているとおり、会社は、2019 年3月 31 日現在、耐用年数を確定できない無形資産を192,381 百万円計 上している。主なものは、連結子会社である田辺三菱製薬株式会社が、2013 年9月のメディカ ゴ社買収及び 2017 年 10 月のニューロダーム社買収により計上した仕掛研究開発費であり、帳簿価額はそれぞれ 25,967 百万円及び 134,076 百万円である。 仕掛研究開発費は、研究開発の段階にあり、未だ規制当局の販売承認が得られていないもので使用可能な状態にないため、会社は将来の経済的便益が流入する期間が予見可能でないと判断し、耐用年数を確定できない無形資産に分類している。
上で参照されている注記13には、上とほぼ同じ内容に記載がされている。
(クリックして読んでください。)

三菱ケミカル_KAM(3-3)

上の注記によると、耐用年数を確定できない無形資産の2019年3月末残高が192,381百万円であり、そのうち2017年のニューロダーム社の買収で増加した無形資産が 134,076百万円、2013年のメディカゴ社買収で認識された無形資産が25,967百万円、そして残りの32,338百万円 ( = 192,381-134,076-25,967)がその他の耐用年数を確定できない無形資産ということになる。
重要性の基準値については監査報告書に開示されていないが、税引前利益の5%と仮定すると288,056百万円x5%=14,402百万円なので、これらの無形資産の金額は、この13倍程度の重要性ということになる。

引き続き、この無形資産残高に対する監査人のリスク評価を読んでいこう。
そのため、会社は当該資産の償却を行わず、毎年かつ減損の兆候が存在する場合はそ の都度、減損テストを実施している。 会社は、減損テストを実施するにあたり、仕掛研究開発費の回収可能価額を使用価値により測定している。使用価値は見積将来キャッシュ・フローの割引現在価値として算定しており、 重要な仮定は、規制当局の販売承認の取得の可能性、上市後の販売予想及び割引率である。 研究開発は不確実性を伴うものであり、仕掛研究開発費の減損テストにおいては、将来キ ャッシュ・フローの見積り及び割引率について、 経営者の判断が必要であるため、当監査法人は当該事項を監査上の主要な検討事項に相当する事項に該当するものと判断した。
監査人の評価は、耐用年数が確定できない無形資産の減損測定のために帳簿価額と比較される使用価値の見積りの不確実性にリスクがあるということであり、一般的な会計上の見積りに対するリスク評価である。また、特に金額の大きなニューロダムとメディカゴの無形資産に着目している。
前回の記事で例として取り上げたBAE Systemsののれんの場合もそうであったし、ロシュの無形資産、あるいはのれんの場合も、減損リスクの評価においては、金額の大きさよりも、使用価値と帳簿価額の差額であるHead roomの小さい特定ののれんや無形資産に着目していた。たとえ金額が大きくても、Head roomが十分にある場合は減損リスクは小さいからである。また、Head roomが小さいかどうかは、将来キャッシュフローや市場環境の変化、あるいは過去に減損させたかどうかといった企業固有の状況が反映されるものである。
そういう意味で、無形資産の減損リスクに対する一般的なリスクと金額に大きさに着目している監査人のリスクの評価は、やや一面的になってしまっていると感じる。

それでは、監査人のリスク対応手続を理解していこう。まずはマネジメントの見積り手法やプロセス、内部統制の評価である。
監査上の対応
当監査法人は、仕掛研究開発費の評価を検討するにあたり、主として以下の監査手続を実施した。
  • 当監査法人のネットワーク・ファームの評価専門家を関与させ、使用価値の算定における評価方法を検証し、使用された割引率を評価し た。
  • 規制当局による販売承認の可能性について は、製品の開発状況及び成功確率に関してマネジメント及び担当部門責任者と議論し、研究開発の各段階における成功確率に関する過去実績 及び利用可能な外部データを考慮して評価した。
  • 上市後の販売予想については、主要なインプ ットである販売単価、販売数量、マーケット シェアに関して、外部機関による市場予測と比較し、前年度の見積りからの変更を検討するとともに、利用可能な外部データと比較した。 また、経営者と議論し、取締役会への報告資料を閲覧した。

マネジメントによる使用価値の算定で使われる主要なインプットと、使用された割引率の妥当性について、監査人の専門家を利用して評価させていることがわかる。
規制当局による販売承認の可能性は、こられの無形資産の使用価値の算定に決定的な影響を与えると思われる。この可能性を評価するために、監査人はマネジメントと担当部門の責任者とのディスカッションするとともに、成功確率に関する過去実績および利用可能な外部データを考慮して評価しているとある。しかしながら、成功確率に関する過去実績を考慮したというのが、ISA540で求められている、マネジメントの過去の予測の精度の遡及的評価に相当するのかどうかが明確に判断できない。

次に実証手続によるリスク対応手続である。
  • 割引率については、利用可能な外部データ を用いた当監査法人のネットワーク・ファームの評価専門家による見積りと比較した。
  • 使用価値の算定結果に対して感応度の高い仮定に関して、一定のリスクを反映させた経 営者による不確実性への評価について検討した。
割引率の見積りについては、評価専門家による見積りと比較したとあるが、監査上の対応の1つ目に記載されている専門家による割引率の評価とどう違うのかがわからない。割引率の見積りで、どのような仮定やインプットが使われるのか、さらに専門家による見積りとの比較の結果をどのように評価したかについても言及して欲しかったと感じる。
経営者による不確実性への評価について検討したとあるが、感応度分析の評価という形で示してもらえればより分かりやすいと感じる。

全体的な感想としては、のれんと同様であるが、特に、減損リスクについては、特定の無形資産のHead roomの状況など、固有のリスクについての情報が含まれていれば良かったと思う。その上で、マネジメントによる不確実性への対応を含む、監査人の所見を是非記載してもらいたいと感じる。


(参考) ホームページに記載されているKAMの原文
三菱ケミカル_KAM(3)
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