これまで、KAMの先行事例として、欧州のKAMを読者に紹介してきた。そこで少し趣向を変えて、今回から数回の記事では、日本で事例を紹介したい。三菱ケミカルホールディングが、2020年3月期からの早期適用よりもさらに1年早く、2019年3月期の監査でのKAMを自社のホームページで公表しているので、これを紹介したい。
監査報告書は、三菱ケミカルホールディングスの2019有価証券報告書の177頁に短文式のものが含まれているのみであるが、三菱ケミカルのホームページの、IRトピックスのお知らせの中で、以下のようにKAMが公表されている。なお、三菱ケミカルホールディングは、会計基準として国際監査基準(IFRS)を任意適用している。
「監査上の主要な検討事項」は内閣府令第54号(2018年11月30日)において監査報告書への記載が求められることになりました(2021年3月31日以後に終了する連結会計年度等から適用。2020年3月31日以後に終了する連結会計年度等から早期適用可)。
当社は、監査人による連結財務諸表の監査の透明性を高める観点から、上記府令の適用時期に先立って、任意で「監査上の主要な検討事項」に相当する事項の報告を受けております。報告の全文はこちらをご覧ください
せっかく公表してくれているので、是非参考にさせてもらいたい。
なお、識別されているKAMは以下の4つである。いずれのKAMも会計上の見積りに関するリスクであり、これまで読んできた事例にも含まれているものばかりである。
次回の記事からこれら一つ一つについて、欧州のKAMと比較しながら読んでいこうと思う。
  • 産業ガス事業の企業結合
  • のれんの評価
  • 耐用年数を確定できない無形資産の評価
  • 繰延税金資産の評価 
国際監査基準(ISA)は、監査のグローバルスタンダードであり、ISAを採用する各国の監査人は、ISAの要求事項に従うことが求められている。これまでこのブログで取り上げてきたKAMを読んできたとおり、英国やオランダの場合は、ISAの要求事項に加えて、自国独自の規定により監査報告書に重要性の基準値や、監査範囲に関する事項を開示することが求められている。
一方、ドイツやスイスなどの場合は、そのような自国の独自規定はないため、KAMの開示においてはISA701の要求事項を満たす必要はあるものの、監査報告書に重要性の基準値や監査範囲に関する事項を開示することは強制されていない。そのためドイツやスイスのKAMは、英国やオランダと比較すると情報量が足りないという側面はあると思われる。日本のKAMもおそらくこのレベルではないかと予想している。
そうはいっても、ISAの要求事項は、それを適用する各国において、ほぼそのまま受け入れられており、リスクアプローチによる監査手続は共通である。そのため、監査において特に監査人が注意を払う事項や、そのリスクに対する対応手続に差はないはずである。したがって、日本のKAMも欧州のKAMと比較可能であり、特に、投資家など監査報告書の利用者にとっての有用性という目的において、遜色のない内容のKAMが求められていると考える。

また、日本の場合はIFRSや米国基準を任意で適用している一部の会社を除いて、日本の監査基準で財務諸表が作成されている。そのため財務諸表に注記されている情報がIFRSにくらべて少ないという違いがある。しかしながら、ISA701は、KAMの開示において、たとえ財務諸表に開示されていない情報であっても、それを開示することの方が公共の利益となるという推定のもと、監査人にそれを開示することを求めている。

ISA701.14
監査上の主要な検討事項であると判断された事項が監査報告書に開示されない状況
14.監査人は、以下の場合を除き、監査報告書に監査上の主要な検討事項を記載するものとする。
(a)法令または規制により、この事項を公表することが禁止されている場合。
(b)極めてまれな状況として、その事項を公表することの悪影響が、それを公表することの公共の利益を上回ることが合理的に予想されるとして、監査人が、その事項を監査報告書で開示すべきではないと判断する場合。ただし、企業がこの事項に関する情報を公表している場合、この状況には該当しない。
従って、日本の監査人は財務諸表に開示されていないという理由によって、KAMの開示を省略あるいは簡素化してしまうことは避けなければならない。ガバナンス責任者も、投資家へのより良い情報開示のため、監査人が監査において特に注意を払う必要のある重要なリスクについては、合理的な理由なく、その開示に制限することはしないと考えている。

上記の理由から日本のKAMの事例は、欧州の先行事例と比較可能であり、そのような試みを通じて日本の監査がグローバル水準の監査と比較されることは、日本の資本市場の健全化にとって意味のあることだと思う。

(参考) 監査報告書の原文 (クリックして読んでください。)
三菱ケミカル_監査報告書


(参考) 監査報告書(冒頭部分)の原文 (クリックして読んでください。)
冒頭