KAMの事例でコーポレートガバナンス

2020年から日本でも導入されるKAM(Key Audit Matter)。日本では「監査上の主要な検討事項」と呼ばれ、企業の監査における重点領域に関する情報が、監査報告書で報告されるようになる。この監査における重点領域は、いわゆるリスクアプローチによって決定されることから、KAMを理解するためには、リスクアプローチの理解が重要になる。グローバル企業の監査に長年携わってきた監査のプロフェッショナルが、KAMの事例を紹介しながら、社外取締役や監査役などガバナンス責任者、さらに投資家などの方々に、KAMを理解すれば何がわかるのか、そして何がわからないのかについて、できるだけ簡単な言葉で、わかりやすくアドバイスします。

上場企業のガバナンス責任者は、KAMをテコにして、監査法人の監査手続に対する理解を深め、企業のガバナンスを強化することができます。投資家は、KAMを理解することにより、アニュアルレポートによる企業の開示をさらに深く理解することができます。 監査における情報の非対称性を解消し、資本市場の健全化に貢献したい。そのためのブログです。

重要性の基準値

KAMの事例分析 - (オランダ)ロイヤル・ダッチ・シェル(2)

前回と引き続き、監査報告書で説明されている監査アプローチを読んでいこう。
監査報告書は、ロイヤル・ダッチ・シェルの2018アニュアルレポートの148-169頁に含まれている。

前回はセクション4をカバーしたので、今回はセクション5「重要性の基準値の決定」である。
監査報告書のセクション5の原文は、この記事の最後に貼り付けているので、参考にして欲しい。

セクション5は、監査人の重要性の基準値のコンセプトを説明したものである。

重要性の基準値の決定方法
マークス&スペンサーの監査報告書では、重要性の基準値と僅少許容金額については説明があったものの手続重要性の重要性についての言及がなかった。しかしながら、シェルの監査報告書では、「重要性の基準値(Overall materiality)」、「手続実施上の重要性(Performance materiality)」、「僅少許容金額(Audit Committee reporting threshold)」のそれぞれについて、意味(What means)、設定金額のレベル(Level set)が説明されており、さらに「重要性の基準値」については、2018年監査において、設定された金額の根拠が詳細に述べられている。
「重要性の基準値」に関する一般的な説明はこちらを参照して欲しい。

それでは、その一つ一つについて、監査人がどのように考えたかを理解することにしよう。
まずは「重要性の基準値(Overall materiality)」。
重要性のコンセプトの適用
我々の監査の範囲は、重要性に対する我々の考え方に影響される。 監査ストラテジーを策定する際、財務諸表全体のレベルと個別の勘定残高のレベル(「手続実施上の重要性」(以下を参照))で重要性を決定する。
  • 財務諸表全体の重要性の基準値:1,000百万ドル
  • 手続実施上の重要性:750百万ドル
  • 僅少許容金額:50百万ドル
重要性の基準値とは、監査を実施する上での目の粗さである。監査の範囲というのは、財務諸表全体のうち、手続でカバーされる範囲であるから、重要性の基準値が大きければそれだけ範囲は狭くなり、テストの対象にならない勘定科目も増えるのである。
また、重要性の基準値を個別の勘定科目に適用する場合は、集計リスク(Aggregation risk)を考慮して、財務諸表全体の重要性の基準値(1,000百万ドル)よりも小さい「手続実施上の重要性(750百万ドル)」を適用する。また、僅少許容金額(50百万ドル)とは、集計リスクを考えても重要な虚偽表示にならないとして、これを下回る虚偽表示は集計して財務諸表の影響を評価することも、監査委員会へ報告することも求められないとして設定された閾値である。

次は、重要性の基準値が、監査においてどういう意味を持っているかの説明である。単に監査基準上の定義を説明するのではなく、できるだけ平易な言葉で、その意味するところを説明している。

何を意味するか?

重要性の基準値は、監査の計画と実施、さらに、識別された虚偽表示(表示の省略を含む)が監査に与える影響の評価および監査意見の形成の両方に適用される。財務諸表に重大な虚偽表示(不正または誤謬による)がないかを判断する目的において、個別にまたは全体として、財務諸表の利用者の経済的判断に合理的に影響を及ぼすと予想される虚偽表示の大きさとして重要性の基準値は定義されている。  また、シェルの特定の状況に照らして、財務諸表全体の重要性の基準値を適切なレベルに設定することが必要である。

重要性の基準値の意味するところは、その基準値よりも大きな虚偽表示は、シェルの財務諸表の利用者の経済的判断に影響を及ぼすと予想されるため、監査人として、財務諸表が適正であるという意見形成ができない金額ということである。
重要性の基準値は、重要な虚偽表示リスクを識別、評価するとともに、監査手続の性質と範囲を決定するためのベースとなる。 重要性の評価には職業的専門的としての判断が必要であり、定性的および定量的な検討事項を考慮する必要がある。 また、その決定においては、シェルのガバナンス責任者および財務諸表の利用者がどのような期待を有しているかも考慮する。 監査基準は、重要性の基準値の再評価を監査期間を通じて行うことを要求している。
監査人は財務諸表が適正であるという意見形成をするための根拠として、財務諸表が全体として、重要性の基準値よりも大きく間違っていないと判断できるだけのエビデンスを必要としている。そのため、重要性の基準値を超える虚偽表示を見逃さないように、監査手続の範囲や性質を決定する必要があるのである。また、そのような基準値は、監査の期間を通じての監査人のリスク評価のアップデートに応じて再評価される必要がある。
監査人は、意見形成の段階において、発見された虚偽表示を集計し、潜在的な虚偽表示を考慮しても、財務諸表が全体として重要性の基準値を超えて間違っていないかどうかを判断し、意見表明のための根拠とするのである。

それでは、監査人はそのような重要性の基準値を具体的にどのレベルに設定したのかを理解しよう。

設定されたレベル

グループ(連結財務諸表)の重要性

シェルの連結財務諸表全体に対する暫定的な重要性の基準値として10億ドルに設定しました(2017年:8億ドル)。 この暫定値について、シェルの業績と外部市場の状況を考慮しながら、年間を通して見直し、当初の評価の妥当性を再評価した。 その結果、連結財務諸表全体に対する重要性の基準値を変更する必要はないと判断しました。

親会社(単体財務諸表)の重要性

親会社(単体財務諸表)の重要性の基準値は26億ドル(2017年:25億ドル)であると判断しました。これは資本の1%(2017年:1%)です。 資本は投資持株会社の重要性を判断するための適切な基準であり、1%は重要性を判断するために使用する資本の典型的な比率です。 連結グループの監査に関連する親会社の財務諸表の残高はすべて、グループの手続上の重要性を配分した金額を使用して監査した。

グループの重要性については、シェルの業績と外部市場の状況を勘案して10億ドル(2017年:8億ドル)と設定している。前期に比べて増加しているが、税引前利益は、2018年は356億ドルに対して2017年は181億ドルであることを考慮すると、保守的な判断のように思える。また、10億ドルという重要性の基準値の税引前利益に対する比率は2.8%であり、利益ベースのベンチマークに対する典型的な比率である5%よりも低いレベルに設定されている。

一方で、親会社の重要性は、ベンチマークとして純資産に、典型的な比率として1%を乗じることにより、26億ドル(2017年: 25億ドル)と設定したという説明である。しかしながら、連結財務諸表を参照すると、純資産の金額は2,025億ドル(2017年:1,978億ドル)であり、これらを比較すると1.3%となるので、純資産の金額に何らかの調整が行われていると思われる。
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グループ監査において、コンポーネントの重要性がグループの重要性を超えないように設定することが求められている。しかしながら、上の親会社の重要性の26億ドル(2017年: 25億ドル)は、グループの重要性である10億ドル(2017年:8億ドル)を超過してしまっている。ここでは説明されていないが、この親会社の重要性は、親会社単体財務諸表の重要性であり、連結監査において適用されているわけではないと考えられる。

次に、このグループの重要性の基準値である10億ドルがどのように設定されたかが説明されているので、これを読んでいこう。

2018年監査での重要性の基準値の根拠

我々は、連結財務諸表全体に対する重要性の基準値は10億ドルと判断した。 これは、シェルの2016年と2017年の平均収益、および2018年の、現在の供給ベースのコストでの見積り収益(Current Cost of Supplies basis:CCSベース収益)に、シェルの四半期業績報告に含まれる特定の項目を除き、実効税額を調整することにより導き出される。 10億ドルは、計算された平均CCS収益に一定の割合を適用して決定されました。 利益関連のベンチマークを使用して全体的な重要性を判断する場合、典型的には税引前指標の5%のベンチマーク率が適用される。 連結財務諸表全体に対する重要性の金額を設定する際には、より慎重に判断し、5%ベンチマークを下回るレートを適用した。その結果、連結財務諸表全体に対する重要性は、2018年の税引前の利益の3%未満となった。


重要性を判断する際、監査基準は、税引前収入、売上総利益、総収入などのベンチマーを使用することを求めている。それでも、監査人は、収益、取引または資本ベースのベンチマークのどれがシェルの財務諸表のユーザーや監査委員会の期待に最も合致するかなどについて、相当なレベルの判断を要求される。 我々は、重要性の基準値を評価するにあたって、最も適切なベンチマークを決定する際に、「合理的な投資家の視点」を適用している。 これは、シェルの投資家が共通的にもっている財務情報に対するニーズをグループとして理解していることを反映しており、それは、CCS利益から特定の項目を除いたものであると考えている。 シェルの四半期業績発表では、特定された項目を除くCCS収益を利益の主要な指標として提示している。


特定の項目を除くCCS利益からは、在庫簿価に対する石油価格の変化の影響と、シェルの営業成績を著しく歪める可能性のある特定された項目の両方が取り除かれる。 我々の見解では、特定の項目を除いたCCS利益を使用することにより、投資家はマネジメントの経営成績を、商品価格の環境を前提に理解するのではなく、そういった商品環境に左右されることなく理解することができる。 さらに、アナリストの予測は、特定の項目を除くCCS利益を経営成績指標として支持している。 アナリストのコンセンサスデータは、特定された項目を除くCCS利益が合理的な投資家の観点からも、経営成績の重要な指標であるという私たちの判断をサポートしている。

シェルが四半期業績発表で報告した特定の項目は、純売却益(33億ドル)、純減損(10億ドルの費用)、商品デリバティブおよび特定のガス契約の公正価値会計(11億ドルの利益)、重複および再編(2億ドルの費用)、その他の小項目の合計(1億ドルの費用)である。

10億ドルの重要性の基準値は、調整後税前利益をベンチマークとして算定している。具体的には、直近の供給コストベースの利益であるCCS利益に対して、特定の項目を調整した利益をベンチマークとし、利益ベースのベンチマークに典型的な比率である5%よりもさらに保守的な比率を採用したことが説明されている。2018年のCCS利益は243億ドルとの比率では、4.1%になっている。

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また、ベンチマークとしての経営成績指標が、投資家から圧倒的な支持を得ていること、さらに特定の項目を除外したCCS利益を使うことが、石油価格などの外部市場価格の変動によって重要性の基準値が左右されることを防ぐことが、投資家の観点からも、より適切な経営指標であると判断していることが説明されている。

重要性の基準値の算定方法について、前期との比較も詳細に説明されている。

2017年に除外された特定項目は、純資産売却益(16億ドル)、減損(30億ドルの費用)、商品デリバティブおよび特定のガス契約の公正価値会計(3億ドルの損失)、重複と再構築(4億ドルの費用)、 税収の為替レートの変動(6億ドルの利益)、米国の税制改革法案から生じる影響(20億ドルの費用)、およびその他の小項目の合計(2億ドルの費用)。 これらの要因を分析し、我々はシェルの四半期業績発表で報告された特定の項目を除き、さらに実効税率に調整されたシェルのCCS利益にフォーカスする必要があると結論付けた。 2017年には、原油価格の低迷による平均収益の計算に、フォワード・ルッキングな要素を含めた。 しかし、今年度は、原油価格の環境がより安定しているため、フォワード・ルッキングな見解を使用していない。

特定項目の内容と金額に関して説明しているとともに、2017年は原油価格の不安定で一時的な影響が大きいと考えて、フォワード・ルッキングな要素を重要性の金額の算定に含めていたが、2018年は、原油価格が安定していると判断し、フォワード・ルッキングな要素は含めていないことが説明されている。

次に、手続実施上の重要性についての説明である。
重要性の基準値と同様に、手続実施上の重要性が監査においてどういう意味を持つのかをできるだけ平易な言葉で説明しようとしていることがわかる。

何を意味するか

財務諸表全体に対する重要性を設定したした後、「手続実施上の重要性」を決定した。これは、個々の勘定科目の虚偽表示に対する許容金額を表している。 シェルの財務諸表全体の未修正かつ発見されていない虚偽表示の合計が、重要性全体である10億ドルを超える確率を適切に低いレベルに下げるために、財務諸表全体に対する重要性の一定の割合として計算される。

手続実施上の重要性の意味するところの説明である。このコンセプトはわかりにくい面があり、マークス&スペンサーのように、あえて説明を省略するケースも多いが、シェルの場合はきちんと説明されているので、じっくり解説したいと思う。

まず、監査人としては財務諸表全体で10億ドルを超える虚偽表示が無いことについて確信を得る必要があるということを押さえて欲しい。ただし、実際の手続は個別の勘定残高ごとにテストしていくわけであるが、問題は、個別の勘定残高にいくら以上の虚偽表示がないことに確信を持てれば良いかという点である。
監査手続というのは、内部統制を検証したとしても、すべてのコントロールがいつも有効に機能しているという保証が得られるわけではない。また、実証手続においても、サンプリングや、分析的実証手続では、すべての虚偽表示が発見できるわけではなく、一定の金額以上の虚偽表示が発見できないリスクを避けるための手続でしかない。したがって、監査手続と、その結果の評価では、この一定の金額未満の潜在的な虚偽表示が存在することを前提にしているのである。
この一定の金額が、手続実施上の重要性という理解で良いであろう。仮に、この手続実施上の重要性を、財務諸表全体の重要性の基準値と同じにした場合、すべての勘定科目について手続を実施して、結果として虚偽表示が全く発見されなかったとしても、重要性の基準値と同じ大きさの潜在的な虚偽表示が財務諸表に含まれていることになる。もし、一つでも虚偽表示が見つかって、修正されなければ、財務諸表は適正でないことになってしまうのである。また、勘定科目も複数あるので、勘定残高ごとのテストで発見される虚偽表示の集計リスクも考えなければいけない。
そこで、手続実施上の重要性というのは、重要性の基準値の7割程度に設定して、ある程度余裕をもたせることが必要なのである。また、この7割というのも、企業の内部統制がしっかりしていて虚偽表示が発生するリスクが小さいとか、たとえ虚偽表示があったとしても、マネジメントが修正する可能性が高ければ、さらに大きくすることも可能なのである。

グループ監査の場合は、コンポーネントごとにこの手続実施上の重要性を決定する必要がある。そのことを手続実施上の重要性の事業ユニットへの配分として以下のように説明されている。

監査範囲の決定後、手続実施上の重要性を監査範囲内のさまざまな事業ユニットに配分しました。 監査範囲内の事業ユニット監査チームは、この配分された手続実施上の重要性を使用して、グループ監査手続を実行しました。 手続実施上の重要性の配分は、シェルへの収益の貢献度またはその他の適切な指標で測定される事業ユニットのサイズ、および事業ユニットのリスクによって決定する。

実施上の重要性の一定割合をコンポーネントの重要性やリスクに応じてそれぞれ配分していくのであるが、事業ユニットの重要性やユニット固有のリスクに応じて配分される金額を決めていくのである。
下はセクション6の監査範囲の決定についての説明に含まれる表であるが、一番右の列にコンポーとネントごとに配分された手続実施上の重要性の金額が記載されている。(クリックして読んでください。)

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それでは、監査人が、どのレベルに手続実施上の重要性を設定したかを理解しよう。

設定されたレベル

リスク評価に基づき、手続実施上の重要性は財務諸表全体に対する重要性の75%(201750%)、つまり750百万ドル(2017400百万ドル)であると判断した。 2018年の監査において、適切なレベルを決定する際には、2017年の監査で発見された差異の性質、数だけでなく、全社的な統制環境の影響を考慮する。 手続実施上の重要性が増加した理由は、シェルにおけるIT全般統制の強化と、監査で発見されない未修正の虚偽記載の可能性を評価した結果である。 2018年、事業ユニットに配分された手続実施上の重要性は113百万ドルから375百万ドルであって。(2017年:40百万ドルから260百万ドル)。 詳細については、以下のセクション6を参照。

シェルの場合、重要性の基準値10億ドルに対して、手続実施上の重要性はその75%、すなわち7.5億ドルに設定している。典型的な割合である70%を超えているので、監査人は過年度の監査での経験から、会社の財務諸表に虚偽表示がある可能性を低く見積もっており、仮にあったとしてもマネジメントが修正に応じてくれるという想定があると想像できるのである。

また事業ユニットに配分された手続実施上の重要性の113百万ドルから375百万ドルというのは、上の表で説明されているとおりである。


最後に僅少許容金額の説明である。

何を意味するか

識別された虚偽表示が明らかに僅少なものであると見なされる金額です。 この閾値を上回る監査差異は集計され、監査委員会に報告される。 ただし、その閾値を下回る差異であっても、定性的な問題がある場合は、報告に含める必要がある。 我々は、未修正の虚偽表示を評価するにあたって、上で説明した重要性の定量的尺度と、その他の関連する定性的事項の両方を考慮して意見を形成する。

僅少許容金額は、明らかに僅少であり、集計リスクを考慮しても重要な虚偽表示とならないと考える閾値である。不正や、内部統制に広範な問題があるといった定性的な問題がなければ、これらは通常、集計されたり評価されることもなく、監査委員会にも報告もされない。
監査人は、発見した未修正の虚偽表示を評価して、財務諸表に対する監査意見を形成するのであるが、そのような僅少許容金額未満の虚偽表示については、評価の対象にもならない。

監査人が設定した僅少許容金額の閾値についての説明である。

設定されたレベル

我々は、50百万ドルを超えるすべての監査の差異(2017年:40百万ドル)と、これを下回るさいであっても定性的に問題がある差異を報告に含めることについて監査委員会と同意した。

僅少許容金額は、典型的には、重要性の基準値の5%である。シェルの例でも重要性の基準値である10億ドルの5%の50百万ドルを僅少許容金額としていることがわかる。また、監査委員会から同意をもらっていることが説明されている。



(参考) 監査報告書(セクション5)の原文 (クリックして読んでください。)
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KAMの事例分析 - (英)マークス&スペンサー(8)

マークス&スペンサーの2019年報告書に記載されている6つのKAMをすべて読み終わったところで、別の企業のアニュアルレポートのKAMを読み進めようと思ったが、ここのところKAMの説明ばかりであったので、監査報告書のKAM以外の部分を少し読んでみようと思う。

アニュアルレポートの88-89頁にかけて、重要性の基準値と、監査範囲についての監査人の説明が監査報告書の中で説明されているので、その内容を今回と、次回に分けて取り上げようと思う。

まずは、重要性の基準値についての監査人の説明である。重要性の基準値についての一般的な説明については、こちらを参照して欲しい。

重要性の基準値
グループ財務諸表: 20百万ポンド(2018: 24.5百万ポンド)
親会社単体財務諸表: 18百万ポンド(2018: 22.1百万ポンド)

重要性の基準値の適用

我々は、重要性の基準値の定義を、合理的で知識のある人の経済的決定が変更または影響を受ける可能性のある財務諸表の虚偽表示の大きさとしている。重要性の基準値は、監査業務の範囲を計画するにあたって使用されるとともに、監査手続の結果を評価するためにも使用されている。我々は、職業的専門家としての判断に基づいて、財務諸表全体の重要性の基準値を次のように決定した:

コンポーネント監査人によるフルスコープの監査に適用される重要性の基準値は、コンポーネントのオペレーションの規模と各拠点に固有のリスク評価に応じて、2.0百万ポンドから18.0百万ポンド(2018年: 2.2百万~22.1百万ポンド)の範囲で決定した。

我々は監査委員会に対して、1百万ポンド(2018年:1百万ポンド)を超えるすべての監査差異と、その閾値を下回る差異であっても定性的な理由で報告すべき差異を報告することについて監査委員会と同意した。

また、我々は財務諸表の表示全体を評価する際に識別した開示に関する発見事項についても監査委員会に報告する。

重要性の基準値の定義から始まって、財務諸表全体の重要性の基準値(20百万ポンド)と、コンポーネント財務諸表の重要性の基準値(2.0百万~18.0百万ポンド)、さらに、僅少許容金額の閾値(1.0百万ポンド)の意味と、それらの金額がいくらに設定されたのかが説明されている。

ただし、手続実施上の重要性については、説明されていない。手続実施上重要性の定義や概念、その監査での適用方法を説明するのが難しいことから、監査人は、あえて説明を省略したものと考えられる。


次に、それらの金額がどのように設定されたかの説明である。

重要性を決定するための基礎

グループ財務諸表

当期と前期の両方で考慮された主な指標は、税引前調整利益(523.2百万ポンド)の5%のベンチマークであったが、以下の特定の調整項目の影響を除いた結果、重要性の基準値は21.5百万ポンド となった。

  • M&S銀行手数料(PPI)▲ 20.9百万ポンド 
  • 英国ロジスティクス ▲14.3百万ポンド 
  • 注記5の調整項目62.1百万ポンドに含まれる英国店舗の減損および関連費用▲ 52.8百万ポンド 

さらに、当グループの最近の取引実績、市場環境が引き続き厳しいこと、および英国のEUからの脱退といった広範な不確実性を考慮して、20百万ポンドとした。


親会社単体財務諸表

親会社単体財務諸表の重要性の基準として純資産の3%を使用したが、グループの重要性の90%を上限として18百万ポンドとした。

税引前調整利益をさらに調整した利益をベンチマークとしている。具体的には、調整項目のうち、上の3つの項目については調整項目から外した上で、ベンチマークとして、5%を乗じた金額を21.5百万ポンド (= 523.2 - 20.9 - 14.3 - 52.8) x 5%)をベースに、リスクや不確実性を加味して、20百万ポンドをグループ財務諸表全体の重要性の基準値としている。

親会社単体財務諸表は、純資産をベンチマークとして3%を乗じて算出した金額に、グループ財務諸表全体の重要性の基準値の90%をキャップとして、18百万ポンドをさいようしている。仮にこのキャップがなければ224百万ポンド( = 6,721百万ポンド x 3% )と、グループ財務諸表全体の重要性の基準値の11倍の金額であった。

コンポーネント財務諸表にグループ監査目的で適用される重要性の金額は、グループ財務諸表全体に適用される重要性の金額を超えてはならない。親会社単体の財務諸表だけを監査するのであれば、グループ財務諸表の重要性の基準値を上回っても問題ないはずであるが、グループ監査の一環として、親会社財務諸表のコンポーネントをフルスコープで監査しているので、より小さい重要性の基準値が単一の重要性の基準値として適用されたと思われる。


つぎに、このベンチマークが採用された根拠が説明されている。

適用されるベンチマークの根拠

グループ財務諸表

税引前調整後利益は、グループが使用するパフォーマンスの主要な指標である。毎年、重要性の基準値決定の根拠の一貫性と比較可能性を高めるために、特定の項目を除外した上で、調整利益を使用した。


親会社単体財務諸表

親会社は主に持株会社として機能するため、純資産は重要な指標と考えられる。

ベンチマークの採用の理由は説明されているが、それに乗じる率については説明されていない。
上場企業の場合、投資家は株価や収益率にもっとも関心があるため、税引前利益が採用されるのは通常であり、5%は利益のベンチマークに乗じる率としては典型的な率である。

親会社単体財務諸表については、親会社単体で上場しているわけではなく、財務諸表利用者は親会社を持ち株会社としてみていることから、純資産をベンチマークにしたという説明である。また、純資産に乗じる率として3%も典型的な率と考えられる。

監査報告書には、税引前調整利益(523.2百万ポンド)と、それに対応する重要性の金額(20百万ポンド)の比較と、財務諸表全体の重要性の基準値のコンポーネントへの配分が、下のチャートによってビジュアライズされている。

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(参考) 監査報告書の原文 (クリックして読んでください。)

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KAMの事例分析 - (英)BAE Systems 2018 (8)


BAE Systemsの2018年Annual Reportの135-140頁の監査報告書の138頁に、監査上の重要性の基準値について説明があるので、読んでいこう。

まず、監査報告書の1ページ目、監査アプローチの概要のところに、重要性の基準値に関する説明がある。
重要性
グループ財務諸表に適用された重要性の基準値は70百万ポンドである。138頁に説明されているように、重要性の基準値は、調整後税引前利益をベンチマークとして算定されている。重要性の基準値は、調整後税引前利益の4.7%、税引前利益の5.7%に相当する。
さらに、監査報告書でKAMに関する説明の後に、重要性の基準値の適用というタイトルで別のセクションが設けられている。
連結財務諸表
重要性の基準値 70百万ポンド (2017年 55百万ポンド)
重要性の基準値の決定の根拠
調整後税引前利益 1,484百万ポンドの4.7%. 税前利益の調整には、一時的な損益項目である154百万ポンド(注記1参照)、無形資産の減損費用 33百万ポンド(注記8参照)、金融商品と投資の公正価値および外貨換算調整 73百万ポンド(注記5参照)。前任監査人は連結税引前利益の4.9%を使用していました。
グループの連結財務諸表に適用された重要性の基準値の算定のためのベンチマークとして、調整後税引前利益を使用している。調整後税引前利益 1,484百万ポンドの4.7%として、70百万ポンドを重要性の基準値としていることが説明されている。前任監査人は、税引前利益を調整なしにベンチマークとしている。2018年の税前利益は1,224百万ポンド(156頁の注記6参照)であるから、調整額によりベンチマークが260百万ポンド引き上げられている。ベンチマークに対する比率としては、どちらも5%弱である。税引前利益の5%というのは、上場企業の監査におけるベンチマークとして典型的な比率である。なお、結果として、重要性の基準値は、2017年の55百万ポンドから2018年の70百万ポンドに引き上げられている。

英国の監査基準設定主体であるFRCが公表している、Extended auditor's reports - A further review of experience (January 2016)の30-31頁に、監査法人(ファーム)ごとに、使用するベンチマークの比較がある。これを見ると、2018年の監査人であるDeloitteは調整後利益を使う比率が高く、2017年の前任監査人であるKPMGは税前利益を使う比率が高い。したがって、2018年の監査でベンチマークが変わった理由は、監査人の交代のためと思われる。ベンチマークとして利用される指標は、監査法人ごとに特徴があるものの、いわゆるビッグ4では、Year2の調査ではすべて調整後利益となっている。上場企業の監査では、財務諸表の利用者が株価や利益に着目することから、利益指標をベンチマークとしているためである。

Deloitte Benchmark
KPMG Benchmark

適用されたベンチマークの合理的根拠
継続事業からの税引前調整後利益は、最も安定した比較可能な利益指標とみなされるため、最も関連性のあるベンチマークであると考えました。税引前利益にへの調整は、一時的であると見なされる項目または複雑な金融商品の評価に関連する項目です。これらは変動しやすく、事業の根本的な業績を反映していません。 我々は、他の関連するベンチマークも考慮した上で、この指標は適切であると考えます。我々が使用した重要性の金額は、税引前利益の5.7%、純資産の1.2%に相当します。 重要性の増加は、税引前利益および調整後税引前利益の増加によるものです。
ベンチマークとして税引前調整後利益を使った根拠について説明している。税引前利益に調整を加えることにより、本業の業績を反映した安定的な指標にすることができるという説明である。また、調整項目の内容や、調整した理由についても説明している。(こういった説明を投資家が求めていることは、前回の記事で説明。)
重要性基準値の増加については、税前利益および調整前税引前利益の増加と説明されているが、税引前利益は2018年の1,224百万ポンドに対して、2017年は1,037ポンドと、187百万ポンドの増加である。一方、2018年の調整後利益は、1,484百万ポンドであるため、2018年のベンチマークは、利益の調整により260百万ポンドかさ上げされている。したがって、重要性の金額の増加は、監査人が交代になり、ベンチマークを税前利益から調整後税前利益に変更した要因によるものではないかと思われる。あるいは、監査人としては、税引前利益から調整後利益への変更は、ベンチマークの変更には該当しないという判断で、あえてそのような説明を避けたのかもしれない。

利益の調整について、Extended auditor's reports - A further review of experience (January 2016)の32頁に、以下のコメントがある。

調整後利益がベンチマークとして使われた場合、その調整項目に監査人の判断が大きく作用することがわかった。重要性の基準値の決定にあたっての、このような判断に透明性が不足していることは、投資家にとっての懸念であった。調整項目として、もっとも典型的な例は、非経常的な取引や例外的な項目の利益への影響を除外するものである。
しかしながら、投資家の視点からは、どうして調整項目が監査人によって異なるのか、また、マネジメントがIFRS財務報告を業績測定のために調整したものと、どこが異なるのか、理解するのが困難な場合がある。
親会社単体財務諸表の監査で使われた重要性の基準値の開示である。
親会社単体財務諸表
重要性の基準値 38.5百万ポンド (2017年 32百万ポンド)

重要性の金額決定の基準
重要性は、親会社の純資産を基準に設定されています。

適用されたベンチマークの合理的根拠
親会社の純資産の0.9%に相当します。 さらに、当社は、親会社の重要性をグループの重要性との関連で考慮し、これをグループの重要性の55%に制限している。 我々は、純資産を親会社の財務成績を評価する際に使用する主要なベンチマークと見なしています。

親会社であるBAE Systems plc.の業績が株価と連動するわけではないので、利益指標をベンチマークとする必要性は少なくなる。一方で、グループとしては、親会社の業績については、利益よりも純資産でモニタリングしていることから、純資産の方がベンチマークとして適しているという判断である。 Annual Reportの212頁を参照すると2018年の親会社単体の税引後利益は、962百万ポンドである。単体の重要性基準値38.5百万ポンドと比較しても4%程度であり、十分に小さいことがわかる。

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上は、監査報告書に含まれている図であるが、親会社単体の重要性の金額38.5百万ポンドが、コンポーネントの重要性の基準値のレンジ(38.5百万ポンド~18百万ポンド)の上限であることがわかる。コンポーネントの中で親会社が最大であるためと思われる。
なお、コンポーネントの監査における重要性の基準値は連結監査の重要性の基準値を超えられないことが求められる。手続実施上の重要性を決定する際に、集計リスク(Aggregation risk)を考慮したのと同様に、コンポーネントの集計リスクによる監査リスクを軽減するためである。BAE Systemsの場合は、55%に制限しており、十分に低い金額に抑えられていると考えられる。

我々は、監査委員会との間で、我々が監査で発見した差異のうち、3.5百万ポンド(2017年3百万ポンド)を超える全ての差異を報告することを合意している。また、この閾値以下であっても、定性的な理由により、我々が報告に値すると考える差異について報告することに合意した。 我々はまた、財務諸表の全体的な表示の適正性を評価するにあたって、我々が発見した開示の問題点についても監査委員会に報告することになっている。 

監査の過程で発見した未修正の虚偽表示は集計して、重要性の基準値と比較して評価するとともに、マネジメントや監査委員会に報告するのであるが、あきらかに僅少な虚偽表示については、集計にも含めず、報告もしないのが通常である。ここで開示されている閾値3.5百万ポンド以下の虚偽表示は、あきらかに僅少ということである。
ここで誤解してほしくないのは、監査の結果、発見された虚偽表示として、監査人がマネジメントや監査委員会に報告しているものも、重要性の基準値との比較において重要ではないのである。なぜなら、重要であれば、マネジメントに修正してもらう必要があるからである。上の3.5百万ポンドの閾値は、定性的な要因がある場合を除いて、集計しても意味のある金額にならないので、報告する労力が無駄だという意味である。
通常の監査においては、重要性の基準値の5%程度を目安に決めることが多く、BAE Systemsでもちょうど5%になっている。
ISA(UK &Ireland)は、重要性の基準値のコンセプトの適用については監査報告書に開示することを求めているが、手続実施上の重要性や、この僅少な虚偽表示の閾値については、監査報告書で報告することを要求していない。手続実施上の重要性よりも、僅少な虚偽表示の閾値の方が開示される場合が多いのは、監査人にとって説明が簡単だというところがあると思われる。

重要性の基準値の監査報告書への開示について

BAE Systemsの2018年Annual Reportの135-140頁の監査報告書の138頁において、監査上の重要性の基準値について説明がある。
監査上の重要性の基準値についての考え方について
我々は、重要性の基準値の定義として、合理的に知識を有する人の経済的決定が変更又は影響を受ける可能性のある虚偽表示の金額であると考えています。
我々は、重要性の金額を、監査業務の範囲を計画するにあたって使用するとともに、監査の結果を評価するにあたっても利用します。 職業的専門家としての判断に基づいて、我々は財務諸表全体の重要性を以下のように決定した。
監査人が、重要性の基準値についてどう考えているかを示しているかを説明しているのはなぜであろうか? これは、ISA320「監査の計画および実施における重要性」が、重要性の基準値について、そのコンセプトは示しているものの、定義については、それぞれの各国の財務報告のフレームワークで決められるものとしているからだと思われる。ちなみに、ISA320は、監査上の重要性の基準値の一般的なコンセプトとして以下のように記載している。(ISA320.2)

重要性の基準値のコンセプトは、財務報告のフレームワークごとに、財務諸表の作成および表示の文脈の中でしばしば議論されている。 財務報告のフレームワークによっては、重要性の基準値について異なる用語で説明しているかもしれないが、一般に以下のように説明されている。
  • 財務諸表の虚偽表示および脱漏が、個別にまたは全体として、財務諸表の利用者が財務諸表をベースに行う経済的決定に影響を与えると合理的に予想される場合には、重要であると考えられる。
  • 重要性に関する判断は外部の環境に照らして行われる。また、虚偽表示の大きさや性質、あるいはその両方の影響を受ける。
  • 財務諸表の利用者にとって、どういう事項が重要かどうかの判断は、財務情報のニーズのが共通である利用者のグループとして、どういうグループを想定するかによって変わってくる。ニーズが大きく異なる可能性がある特定の個々の利用者に、虚偽表示がどう影響するかについては考慮されていない。
さらに、ISAは、重要性の基準値の決定は監査人の職業的専門家としての判断にであるとしながら、重要性の決定において、財務諸表の利用者グループとしてどういう人を想定すべきか言及している。(ISA320.4)

監査人による重要性の判断は、職業的専門家としての判断の問題であり、また、監査人が、財務諸表利用者が、財務情報に対してどのようなニーズを持っていると想定するかによって影響を受ける。 そういう意味において、監査人は、財務諸表利用者として、つぎのように想定するのが合理的である。
(a)事業活動および経済活動ならびに会計に関する合理的な知識、ならびに合理的な注意を払って財務諸表の情報を検討する意思がある。
(b)財務諸表が重要性の概念で、作成、開示および監査されていることを理解している。
(c)見積りの使用、判断および将来の事象の検討に基づいて、金額の測定に内在する不確実性を理解している。 そして
(d)財務諸表の情報に基づいて合理的な経済的決定を下す。
監査人が、「合理的に知識を有する人の経済的決定が変更又は影響を受ける可能性のある虚偽表示の金額」を重要性の基準値と考えているのは、財務諸表利用者として合理的に知識を有する人を想定しているということである。
監査人による重要性の基準値の理解も、基本的にこのコンセプトに沿ったものであることがわかる。

ところで、監査報告書に重要性の基準値について報告することは、ISA700「財務諸表の監査報告書」およびISA701「監査上の主要な検討事項の報告」では要求されていない。
英国においては、ISA(UK)701「独立監査人の報告書での監査上の主要な検討事項の報告」により、監査人は、監査報告書の中で、監査計画と実施にあたって、重要性のコンセプトをどのように適用したかを説明することが求められている。しかしながら、Extended auditor's reports - A further review of experience (January 2016)の28頁で報告されているように、FRCによる過去のアンケート調査において、監査報告書での実際の開示が定型的な説明になっている傾向があり、監査人の判断にリスク評価がどのように影響したかついて十分な情報を提供していないとしてして、投資家が改善を要求している領域であるとしている。
(長文式監査報告書導入)2年目の我々のアンケート調査でインタビューした投資家の意見としては、この領域について監査人はもっと努力ができるはずだと考えている。特に、どうしてそのベンチマークを選んだのかについての合理的な根拠、重要性の基準値を算出するにあたってどのような調整を行ったのか、重要性の基準値が監査の範囲にどう影響したのか、重要性の基準値は、監査の実施にあたって他にどういった影響があったのか、などについて説明すべきである。監査法人も、これと同様のフィードバックを株主から受けていると報告している。
もともと、KAMを含め、長文式の監査報告書によって、監査報告書の情報提供機能を拡充させることを求めてきたのは投資家である。投資家としては、重要性のコンセプトの適用に関する情報提供を重視していることを考えると、将来的にはISAでも要求されるようになると予想される。

重要性の基準値の定義は上のとおりであるが、監査人の立場で考えると、重要性の基準値は、監査手続きの目の粗さである。リスク評価においても、重要性の基準値を用いてリスク判断をしており、最終的に、財務諸表が「適正」であるかどうかもこの重要性の基準値をもとにして判断しているのである。重要性の基準値が小さくなれば、それだけテストすべきサンプル数が増えるなど、監査の範囲は広くなり、監査のコストも増えるのである。そのため、監査人としては合理的な説明がつく限りにおいて、できるだけ重要性の金額を大きくしたいというインセンティブが働くのである。重要性の基準値は、監査人が財務諸表の利用者を想定して職業的専門家としての判断で決めることになっているが、監査報告書の利用者であり、監査報酬の最終的な負担者である投資家が、重要性の基準値を重視することは当然と思われる。
一方で、これまで監査人は、重要性の基準値を公表してこなかったし、監査を受ける企業にも伝えないという方針をとってきた。その理由としては、重要性の基準値を企業に教えてしまうと、監査手続にサプライズの要素がなくなるとか、企業側も重要性の基準値を下回る項目については会計処理を簡略化してしまうといった事態につながりかねないからだと言われている。監査報告書の透明化が求められる中、これらの理由にはあまり説得力がなくなってきているというのが筆者の実感である。

また、ISA320は、監査人が重要性の基準値とともに、手続実施上の重要性(Performance Materiality)を監査計画時に決定すべきとしているが、ISA(UK and Ireland)700は、監査人に対して手続実施上の重要性の開示を強制しておらず、またBAE Systemsの監査報告書においても、開示されていない。
なお、ISA320は、手続実施上の重要性の定義として次のように定めている。(ISA320.9)

ISAの目的において、手続実施上の重要性とは、未修正および未発見の虚偽表示の合算された場合に、財務諸表の重要性を超えてしまう可能性を適切に低い水準まで下げるために、監査人が財務諸表全体に対して設定している重要性の基準値よりも低い金額として設定されるものである。  手続実施上の重要性は、重要性の基準値よりも低い金額で設定されたり、または特定の取引種類、勘定残高または開示に対して設定される場合がある。
ここで言っているのは、監査人は監査の過程で発見した虚偽表示について、重要性の基準値との比較の上で、監査意見に影響しないかを評価するしているが、未修正の虚偽表示が複数あって、また、サンプリングでテストしている以上、未発見の虚偽表示もあるので、それらも合算した場合の財務諸表に対する影響が、重要性の基準値を超えてしまうリスクがある。そこで、虚偽表示リスクの評価に当たっては、重要性の基準値そのものを使うのではなく、それよりも少し低い金額として設定した手続実施上の重要性と比較するのである。また、財務諸表全体に対して設定される重要性の基準値と違って、特定の取引種類、勘定残高または開示についてのみ設定されることもある。

Extended auditor's reports - A further review of experience (January 2016)の34頁に、手続実施上の重要性の開示に関して、以下の説明がある。
投資家や他のステークホルダーとのディスカッションで分かったことは、監査専門家以外の人々にとって、手続実施上の重要性は、重要性の基準値と比較して、ベンチマーク尺度としてはあまり理解されていないということである。 監査人は、その意味するところ、その重要性、さらに監査への影響について、もっとテクニカルな概念として、財務諸表の利用者にうまく伝えられていないのかもしれません。このことが、最初の2年間の監査報告書において、他の項目においては先進的な開示が進んだにもかかわらず、手続実施上の重要性のコンセプトを説明することを選択した監査人がほとんどいなかった理由の一つであるかもしれない。
手続実施上の重要性については、世の中の理解が進んでいないということである。確かに、厳密に説明することは難しい概念である。少し低い金額で設定するといっても、実際にどの程度低くするのが合理的なのかを理論的に説明することは非常に難しい。
手続実施上の決定については、ISA320.A13に以下のように書かれている。
手続実施上の重要性の判断は、単純な機械的計算ではなく、専門家としての判断が必要になります。 リスク評価手続の結果、監査人の企業に関する理解が変わった場合にも影響を受けます。 前期の監査で識別された虚偽表示の内容と程度、およびそれに基づいて、監査人が当期の監査でどの程度の虚偽表示を予想しているかによっても影響されます。
Extended auditor's reports - A further review of experience (January 2016)の35頁に実際に、監査人が手続実施上の重要性をどのレベルに設定するかは、監査法人ごとのまちまちであり、各監査法人は、特に理由を説明することなく、マニュアルで許容されたもっとも高い水準に設定する傾向があるとされている。
Performance materiality


また、手続実施上の重要性についての開示に、監査人が消極的であることにより、監査のアプローチを比較することを困難にしていると報告されている。

重要性の基準値、手続実施上の重要性については、将来的には各国の監査業務が、監査人と企業で共有するとともに、投資家へも開示するようになるのではないかと予想している。
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